2008年7月18日金曜日

最終話:歪んだ想い

「この間は、ご迷惑をお掛けしました」

店の奥で亮はマスターに頭を下げていた。

「あぁ、俺も酔って殴ったからな。俺も悪いわ。すまん、亮」

椅子に座りながら、マスターが亮に対して頭を下げた。

「じゃあ、これで俺は失礼します」

再度、頭を軽く下げて、亮は店の裏の扉から店を出た。


店の外には、亮が用事を終わらせるのを待っていた将太が居た。

「これで納得できたか?」

少し心配そうな顔をしている将太が言った。

「はい、これで思い残す事はありません」

「そっか・・・、じゃあ行こうか」

将太を前に2人は歩き出した。

「本当に田舎に帰るのか?」

「はい」

「そうか・・・」

そのまま黙って2人は歩き続けた。


大きな通りの100円パークに亮の車が見えた頃、再び、将太が口を開いた。

「お前、お酒を造るのが本当に上手かったぞ」

「・・・」

無愛想な亮の態度に将太も話を続けたくない気持ちもあったが、

亮が居なくなる事を考えると寂しいとも思えた。


今朝、将太の彼女の家で目を覚ました亮は、そのまま将太の彼女に朝ごはんをご馳走して貰っていた。

朝から将太の彼女は亮の為に白ご飯を炊いて、味噌汁、出し巻き卵、焼き魚を出してくれた。

(久し振りの味噌汁だな)

お箸を右手の指に引っ掛けたまま、亮は味噌汁を飲んでいた。

「まだ、ご飯のお替りはあるからな」と将太が言った。

亮は何の返答せずに味噌汁を飲んだまま少しだけ頷いた。

「亮ちゃん、病院へ行っておいた方が良くない?」

将太の彼女が亮の怪我を心配した。

しかし、それでも亮は目を閉じながら味噌汁を飲み続けている。

最後は天井の方に顔を向けて、一気に味噌汁を飲み干した。

「久し振りの味噌汁で美味しかったです」

将太と将太の彼女は無愛想な亮に少し呆れていたが、

その一言で、互いの顔を見合わせて少し笑った。

「亮、今日は店を休め。俺からマスターに言っておくから」

「いえ、それはいいです。今日、徳島に帰ります」

「えっ!」

将太の茶碗を持った手がテーブルに置かれた。

「もしかして、実家に帰るって事か?」

「はい」

将太は自分の彼女の顔を見て不思議な表情をして、

亮の気持ちが理解不可能である事を示した。


次に亮は焼き魚をお箸で突いて、白身を取り出して食べだした。

「俺のお酒造りは、将太さんから見て上手でしたか?」

亮はお箸でご飯を掴みながら、それを口の方へ移動した。

「お前は無愛想でさ、他の連中にも嫌われていたけど、



まあ、マスターを含めても店で1番酒を上手かっただろうな」

亮のお箸が少し震えているのか、お箸の先が亮の歯に当たった。

「ありがとうございます」

「なぁ亮、今日は家に帰ってさ、ゆっくり休めってさ」

面倒見の良い将太は、亮に対する心配が頭から離れず「今日は休め」と連呼した。

「将太さん、本当に感謝してます」

大阪に出てからの亮の食事と言うのは、基本的にコンビニの弁当か外食だった。

時々霧子が作る料理もあったのだが、人の温もりの感じる食事は、その時ぐらいだった。

今、亮が口にする物は、何処でも食べられる旨みの感じない物かもしれないが、

人の温もりを伝わせられるのに充分な食事だと知った。


将太と別れてから亮はマンションに帰った。

マンションに着いて扉を開けると目に入ったのは電話だった。

留守番電話のランプが点灯していたので亮は靴を脱いで電話の傍に近付いた。

「ごめんな・・・」

ゆっくりと消去ボタンの方へ指を運び、静かにボタンを押下した。

「ピーッ」

部屋の中で電子音が鳴り、それと同時に亮は首がうな垂れた。

「仕事も片付いたし、後はプライベートだな」

顔を上げた瞬間、そこには以前の隙のない厳しい表情の亮は居なくなっていた。

時刻は夕方の6時を過ぎると亮の部屋は綺麗に片付いていた。

ベッドのマットの上に荷物が集められ梱包されている。

そして引越し業者に電話を掛けた。

「じゃあ鍵は管理人に渡しておきますので、その日に荷物の引越しをお願いします」

話が終わり携帯電話を切ると亮は手提げ鞄を掴んだ。

部屋を見渡すと外の明かりがオレンジ色に照らしてる。

「荷物がなくなると、俺の狭い部屋もこんなに広いんだな」

亮のポケットの中で揺れ始める携帯電話。

その携帯電話を取り出して自分の足元に放り出した。

地面に落ちた携帯の上から右足で踏みつけて、亮は携帯を粉砕した。

「は~、また片づけかしないといけないぞ・・・」

壊れた携帯を拾い、それを部屋に隅に置いてある大きなゴミ袋に放り込んだ。

静かに玄関に向い扉を開けると陽が沈みだしている。

「寂しいものだな・・・」

靴を履き玄関から外に出るとゆっくりと扉が閉まり、亮の歩く足音が響いた。

(これで俺も大阪をお別れだな)

寂しい気持ちを抱きながら、亮は住んでいた場所を去った。


陽が沈み暗い部屋で1人で過ごす女性が居た。

電話の傍で座り込み、その視線は目の前の壁に集中していた。

時々電話が鳴り出すが、その女性が受話器を上げた瞬間、電話は切れる。

ナンバーディスプレイで電話を掛けた相手を確認しても、残されているのは『非通知』と言う3文字。

向井からなのか? それとも亮からなのか?

そう、この暗い部屋で過ごす女性は、亮の電話を待つ霧子だった。


亮が霧子に連絡を取らなくなってから2週間は経っている。

連絡が取れなくなって2日目から、霧子は仕事に出なくなっていた。

無断欠勤。

霧子は部屋の中で、ずっと亮の電話を待っていた。

テレビを付けた状態にして何も食べる事なく飲み物だけで過ごしている。

あれだけ周りから綺麗だと言われていた霧子も、



頬はこけ、目の下は薄黒く、目は真っ赤になっていた。

まともな食事を摂らない霧子は、既に人間極限状態を超えて、いつ入院してもおかしくないぐらい痩せ細っている。

腕や足については骨が浮き出して見えるが、着ている服からも背中と脇腹の骨が浮き出しているのが分かる。

霧子の座る傍には、空いているペットボトルもあれば、空いたワインのボトルさえもある。

所々、その飲み物の零れた後が薄い染みとなっていた。

占い師の話を聞いて、霧子も亮の気持ちを確認したかった。

しかし、それを聞く前に亮は霧子の前に現れる事がなくなっている。

本当の向井の気持ちも分からず、自分の置かれる状況に疑問を抱えた霧子は真実を知る亮を待っていた。

それも今となっては霧子の精神状態も崩壊している。


静かにすれば霧子の耳に電話の音が鳴る幻聴さえも聞こえた。

トイレに行っても幻聴が聞こえ、霧子を電話口の前から離れさせない。

携帯電話の充電器さえも、電話の傍に置いて常に電話の取れる状態を作っている。


1時間後、霧子のマンションのインターホンの音が鳴りだした。

久し振りに聞くインターホンに霧子の精神は、いつもの状態を取り戻す。

「はい!」

誰かに呼ばれた。

そんな風に感じて自然と返事をする霧子。

そして次に取った行動は慌てて立ち上がりインターホンを取った。

「はい!」

インターホンの向こう、1人の男性が小声で何かを言った。

「霧子、悪いが、少しだけ外に出て貰えないか?」

その声が亮の声だと霧子は気付く。

そして「えっ! 私の家には入ってくれないの!!」 と叫んだ。

亮が家に入ってくれない事を霧子は自分を否定されたかのように受け止めている。

「いや・・・、そうじゃなくて、少しだけ顔を合わせて話がしたいんだ」

「だったら、家の中に入ってからでいいじゃない!!」

霧子は感極まって大きな声を上げた。

「分かった・・・。じゃあ少しだけ上がらせて貰うよ」

インターホンを切ると、慌てて霧子は部屋の中のゴミを一箇所に集めだした。

「駄目、こんな部屋では亮に嫌われる。早くしないと・・・」

何かに追い立てられるように霧子は慌しく動いた。


亮が霧子の部屋の扉の前に立つと、少し懐かしい感じがした。

「ここともお別れだな」

思い切って扉のノブを回し、扉を開けると静かに亮を待つ雰囲気が出来上がっている。

(電気も点けずに何をしてるんだ?)

亮は廊下を抜けてリビングのドアを開けると、ジャージ姿の霧子が笑顔で立っていた。

「ごめん、亮。少し散らかっているけど、テーブルの椅子に座って!」

霧子の機嫌が凄く良く、いつもの雰囲気が作り上げられている。

だが亮の目に映る霧子は、病人のようにやせ細っていた。

(あれだけ電話を掛けてきた割には、冷静そうだな)

亮が椅子に座ると、霧子はコーヒーを淹れる為、キッチンでお湯を沸かし始めた。

その瞬間、亮の後にある電話が鳴り出した。

(まだ向井から電話が入ってくるのか・・・)

亮が霧子の方を見ると、霧子は電話を一切気にせず笑顔でお湯が沸くのを待っている。

「霧子、電話が掛かってるぞ」

亮が話しかけても霧子は反応しない。

「霧子!」

自分の声に反応しない霧子に対して、少し苛立ちを感じた亮は大きな声で霧子を呼んだ。

その瞬間、霧子の表情は笑顔から怒りの表情へと変わって行った。

「その電話に出たら、私の前からあなたは居なくなる!」

突然、霧子が叫び、亮の中で緊迫感が走った。

(いきなり、どうしたんだ?)

身の危険を感じる程の霧子の変わりように、亮は部屋を急いで見渡し状況を判断した。

(今迄と違う・・・)

以前であれば霧子の部屋では、花の香りがしていた。

それが、どこか生臭い感じもする。

リビングの床にも所々何か零れた後が残り、ソファーにもお菓子のカスのような物が落ちていた。

(部屋の様子も違うぞ)

亮は椅子から立ち上がり、リビングのドアの前へ歩き始めた。

「何処に行くの!!」

「あぁ、車が気になるから見に行くだけだよ」

今の自分の置かれる状況から、亮は少しでも外に近い方に位置移動したかった。

「今、コーヒー淹れてるから、ちゃんと椅子に座って!!」

また霧子の感情が高ぶったのか少し怒鳴った。

丁度、亮の立つ位置からキッチンの中が見え、霧子が足元から包丁を取り出すのが見えた。

(まずい! 霧子の奴、俺を殺す気じゃないか!)

亮の中で更に緊迫感が高まり、それでもゆっくりとテーブルの椅子に戻って行った。


霧子がお盆にコーヒーカップを乗せてテーブルに近付いた。

その様子を亮は見る事すら出来ない状態に陥っている。

(霧子は何か持ってないのか?)

亮の前にコーヒーを置き、霧子は亮の迎え合わせになる位置に座った。

「どうして私の電話に出てくれなかったの?」

「すまない・・・」

「電話に出れなくても掛け直す事ぐらい出来たんじゃないの?」

「すまない・・・」

亮はテーブルを向くように下を向いている。

その様子に霧子は苛立ちを感じていた。

「謝って欲しい訳じゃない! ちゃんと私の方を向いて!!」

「すまない・・・」

三度に渡る同じ言葉、霧子は怒りの感情が表に出た。

「それでは、まるで私が捨てられるみたいじゃない!!」

「・・・」

「こっちを向いてよ!!」

ゆっくりと亮が顔を上げると霧子は自分のコーヒーを亮の顔にめがけて掛けた。

「アチーッ!」

火傷するような熱さを感じた亮は慌てて椅子から立ち上がり、顔に掛かったコーヒーを手の平で払った。

「何するんだ!」

さすがの亮も霧子に対して怒りを表に出した。

「何を怒ってるの?」

「見て分からないのか? 俺は顔を怪我をしてるんだぞ」

「だから何なの?」

亮は顔に貼っていた湿布を急いで剥がした。

剥がした湿布を無造作に放り投げて、亮は自分のポケットからハンカチを取り出して顔を拭いた。

(こいつ、尋常じゃない・・・)

霧子から目から視線を外すと、次の霧子の行動が読めない。

霧子の目は、まるで亮の後を見ているぐらい何か見通すような目をしている。

(俺の方が出口に近い、今しかないぞ)

そう思った亮は、リビングのドアの方を振り向いて急いでリビングから出ようとした。

それに反応した霧子は、突然、テーブルを勢い良く押して立ち上がり、亮の方に向って来た。

亮の右手はドアのノブを回した瞬間、いきなり後から霧子に蹴られた。

「痛!」

さして痛みが伴う訳でもないが、ここは痛い振りをして霧子に痛い思いをしていると知らせようとした。

しかし、「何が痛いのよ! 私の方が、あなたより、もっと痛い目に遭ってるのよ!!」と更に怒り出した。

「待て!」と言って亮は霧子の手を抑えると、今度は亮の足を蹴ろうとする。

今の状況をどうにも出来ないと思うと、亮は右の平手で霧子の頬を叩いた。

大きな音と共に霧子は後に倒れ掛かるが、そこは亮の手を掴み転倒するのを防いだ。

亮は掴まれた別の手で霧子の腕を引っ張った。

体制が整うと霧子はキッチンの中に入り、シンクの上に置いてある包丁を取った。

(まずい!)

慌ててドアのノブを掴んだが、次の瞬間、霧子は亮の後で両手で包丁を構えた。

ドアが開いているが、ここで動けば背中を突かれるかもしれない。

そう思うと、亮は息を潜め頭の中で色んな事を考えた。

(このままだと動く事もできない・・・)

「刺すなら、刺してもいいが、霧子はそれで良いのか?」

一瞬の事だった、亮が言葉を放った時、体を反転させて霧子の方を見た。

「私の事をバカにして、あなたなんて死ねばいいのよ!」

「俺は霧子を馬鹿にしてはないぞ」

霧子の包丁を持つ手は明らかに震えていた。

(いける、これなら大丈夫だ)

「もう、いい加減にしろ。これ以上、面倒な事に関わりたくない!」

そう言った瞬間、霧子の持つ包丁が空を切った。

空を切った後、包丁は壁に当たり、亮は霧子の包丁を持つ手を掴んだ。

「馬鹿な事はやめろ!」

亮は叫びながら包丁を持つ霧子の手を壁に打ちつけた。

その痛みに耐え切れず、霧子が包丁を落とした瞬間、亮の手から自分の腕を引き離し、亮の頬を叩いた。

霧子の背筋が丸くなり、まだ腹の内に怒りを抑えている様子が伺える。

(もう何を話しても駄目だ。これは逃げるしかない)

亮は玄関に向って急いで走った。

その後から霧子も亮を追って走ってくる。

亮が玄関の扉のノブを掴んだ時、霧子が亮の手を掴みノブから手を引き離そうとする。

「何を逃げてるのーっ!!!!」

狂気の沙汰とも受け止められる叫び声を上げて、霧子は亮の腕を引っ張った。

(もう駄目だ。このままでは危険だ!)

亮はノブから手を離した瞬間、霧子の方へ振り向き膝の内側を蹴った。

男性の力で蹴られた霧子は、膝の内側から激痛が走り、その場に座り込んだ。

それを見届ける事なく、亮は扉を開けて靴に慌てて足を入れた状態でエレベータに向った。

亮がエレベータの前に行くと、エレベータは2台共上の階へ移動している。

(まずい、これでは霧子に追いつかれる!)

慌てて左右を確認すると、右側の奥に非常階段のランプが付いていた。

「あそこか!」

エレベータに乗るのを諦めて亮は非常階段の方に走るが、霧子は追いかける様子がなかった。

それでも亮は走り続け、非常階段すらも2段、3段と飛ばして階段を下りた。

1階の非常階段の扉を開けて、一気にエントランスホールを抜ける亮の姿に、通りがかりの人は何事かと見ていた。


車に乗ると後から追いかける霧子の姿がないのを確認すると、亮は汗が一気に噴出し息も切れた。

「ハァ、ハァ、ハァ・・・、早く、この場から逃げないと・・・」

しかし、エンジンを掛けると前から霧子がハンドバッグを持って向ってきた。

「え・・・、やばい!」

車の前で霧子が両手を広げて、発信できないように防いだ。

(どうするんだ? こんな事で人を跳ねるなんて考えられんぞ)

亮は左手でバックギアに入れて、後を確認しながら車をバックさせた。

車が下がり亮に逃げられると思った瞬間、霧子は狂気の沙汰に陥った。

「ギャーーーッ!!!」

大声を叫びながら霧子は持っているバッグを亮の車に投げつけた。

手が空いたと同時に今度は亮の車を追いかけだした。

投げつけられたバッグは、車のボンネットに見事に当たり鈍い音を立てた。

その音に反応した亮は、車の前を向いた。


霧子が俺の車を追いかけてくる。

霧子の顔を見ると俺を睨みつけている。

口から泡を吹き、目を真っ赤にして俺に向って走ってくる。

これが俺が望んだ女だったのか・・・。

俺の想いの変化から今度は霧子の想いも潰している。

俺の頭の中では妄想が浮かび、ブレーキを踏んで車を停めていた。

そして車から降りて、向かってくる霧子を強く抱きしめた。

その瞬間、霧子の表情から狂気の様子がなくなり穏やかな表情に変わった。

しかし、それは俺の妄想だ。

現実の霧子は、口から泡を吹き、目を真っ赤にして、俺に襲い掛かる様子まである。

霧子が哀れに見える。

ここで車を停めたい気持ちも強まったが、もう俺は前の自分に戻りたくない・・・。


亮の右足に力が篭り、後に下がるスピードが増した瞬間、亮の車は交差点に入った。

「あっ!」

鉄の塊が簡単に歪み、重くとも軽くともない異音を放った。

『ガシャッ!』

一瞬の出来事だった。

亮の車は左に滑り出し交差点の角に衝突した。

その衝撃で軽く車が浮き、次の瞬間地上にタイヤが着く。

前輪のサスペンションが衝撃を吸収しても、亮の車のガラスは全て地面や車内に落ちて行った。




あの事故で俺は1ヶ月程、病院に入院した。

事故の直後、僅かに覚えているのは、事故に遭った俺を見て薄ら笑いを浮かべる霧子だった。

それも錯覚かもしれない。

運転席側に車が衝突され俺の意識はなくなっている。

結局、退院してから2ヶ月は大阪に残っていた。

その間、霧子のマンションにも行っている。

廊下から見える部屋のカーテンはなく、表に置いてある観葉植物もなかった。

それがマンションから霧子が出て行った事を確信させている。


今でも忘れる事のできない出来事だ。

俺の想いの変化によって引き起こした出来事で、人の想いを学ばされた。

「りょう~!」

昔の事を思い出していたら、遠くの方で俺の妻が呼んでいた。

田舎臭い妻だが、俺にとっては本当に愛情を注げる相手だ。

その妻が愛娘を抱きながら片手で大きく手を振っている。

「やれやれ子供を落とすなよ」

そう言って、俺は妻の所に向って走った。


俺の想いの変化は・・・、霧子を通じて、

今も誰かを苦しませているかもしれない。


終わり

2008年7月12日土曜日

第19話:思い遣り

この間の占い師の話で、俺は霧子を守る自信を失っていた。

霧子には「俺が守る」と言ってはいるが、

内心では、向井の想いの強さに俺は負けた気もしている。


夏場が近付き、亮の働く店の中もクーラーが良く効いている。

激しく流れる洗い場の水、そこで亮は客の飲み干したグラスを次々に洗っていた。

澄ました顔で仕事を続ける亮のポケットでは、携帯の着信ランプが光り続けていた。

亮が洗い物をしている時、店のマスターは慌しく客のご機嫌を取りに店のホールを出たり入ったりしている。

「亮! 洗い場が落ち着いたら、お前も店のホールに出てお客さんの相手をしろ!」

「はい・・・」

亮はバーテンが客のご機嫌を取りに店の中に出るのか? と疑問視していた。

ポケットの着信ランプは誰の連絡かは亮は気付いている。

占い師の所に行った後、亮は霧子を避けるようになっていた。

その後、毎日、霧子から電話が入っていた。

その電話に出るのも面倒に感じるようになってから、亮の携帯はサイレントモードで待ち受け状態にしている。


店のホールからマスターの大きな笑い声と一緒に自分を呼ぶ声が聞こえた。

「ワハハハハ!! おい! 亮! 亮!」

(本当に騒がしい店だな!!)

亮の頭の中では、この店に対して嫌悪感が強くなっていた。

今となっては霧子のマンションから近い店だと言うメリットがない為だ。

「はい! すぐ行きます!!」

傍に掛かっているタオルを取り、手を拭きながら亮は店のホールに出て行った。

女性客とお酒を飲みながら大騒ぎしているマスターは、亮が近付いているのに気付き振り向いた。

「亮! お前もお客さんに笑いを提供して楽しんで貰え!!」

霧子に対する想いが少しずつ小さくなりだし、その反面、亮の中では再びお酒に対する拘りも強くなっていた。

「マスター、少し宜しいですか?」

「何だ、この忙しい時に!」

亮に怒鳴るような声を出しているが、マスターの機嫌は良かった。

亮の態度を気にする事なく、終始笑顔で客を話している。

「ちょっと、お話が」

店のマスターは客の顔を見渡しながら笑っている。

「すいません、うちの若い奴が、どうやらヘマをやらかしかもしれませんので、少し席を空けさせて貰います」

店のマスターは、ソファーからふらつきながら立ち上がり、亮の後をついて行った。

亮は厨房に入って、更に奥の方へ向って行く。

「おい亮、この忙しい時に何の話なんだ」

マスターの前を歩く亮が突然、店のマスターの方に振り向いた。

亮の様子が突如変わり、怒りの表情が現れた。

マスターは「お前・・・、何や!!」と亮に威嚇するように声を発した。

亮の豹変した様子に、マスターは自然と足が後に下がった。

「おい、いい加減、真面目に酒を造れよ。お前のような奴でも、一応、看板背負って酒造りしてるんだろ。女の客を笑わせて喜ばせて、それがバーテンの仕事か? お前さ、何か勘違いしてないか? ここがホストクラブなら、俺もお前の言うように客を笑わすか、客を褒めちぎって喜ばしてやるよ。だけどよ、ここはバーなんだ。酒を味わって貰うのが本来の姿だろう? お前の店はさ単なるお喋りバーなんだよ!」

亮の言い分にマスターは黙って聞いていたが、酒が入ると暴れん坊に変わる体質から、今の亮の話を素直に聞き入れる事はなかった。

「おい! このクソガキ! 誰に向って口聞いてんだ!」

亮と店のマスターの睨み合いが始まった。

少し離れた場所で仕事をしていた見習いがマスターの怒鳴り声に気付いた。

「2人共、何やってるんすか!」

見習いはマスターを後から羽交い絞めにして、亮から引き離そうとした。

「将太さん、こんな所で働いていて、楽しいっすか?」

同じ場所で働く先輩に対して亮は真剣な質問をした。

マスターを抑えながら、将太は亮を見つめた。

「亮、お前のやっている事は、お前だけの意見なんだよ! ここはお前の店じゃないんだよ! マスターが幾ら悪い事しようが、不味い酒を造ろうが、見習いの俺達に文句を言われる筋合いはないんだよ! マスターの遣り方が気に入らないのだったら、喧嘩を売る前に、お前が店を辞めろ!」

将太の言葉に亮は少し冷静になった。

(そうだよな。文句あるなら辞めればいいんだよ。俺が熱くなった所で、別に店が変わる訳でもないしな・・・)

将太のマスターを抑える腕の力が緩んだ瞬間、店のマスターは抑えられた腕を外し、亮に殴り掛かった。

その振りかざされた拳が亮の頬に入り、亮は後に勢いよく倒れた。

「おい、このクソガキ! どれだけお前が生意気な事言ってもよ。看板背負う事も出来ないだろ。オラ、このクソガキ、掛かって来い!!」

ゆっくりと亮は立ち上がるが、店のマスターに対して怒りの感情は沸いてこなかった。

慌てて将太が店のマスターを抑えようとしたが、今度は抑えようとした将太をマスターが殴りつけた。

「マスター落ち着いてください! お願いします!」

殴られても将太は必死でマスターを抑えようと頑張っていた。

その様子を眺めていた亮は、前の店の事を思い出していた。


少し暗い雰囲気の店内に、眩い光を照らすスポットライト。

そこにグラスが吊り下げられ、時間の許される限り乾いた布でグラスを拭くマスター。

客が扉を開き入ってくると、その客の格好と表情から、どんな酒を欲するか想像する。

そして客の注文を聞いてお酒を造るが、マスターは客の様子に合わせて混ぜるお酒の分量を変えていた。

時にはレシピにないお酒を少し混ぜて、出きる限りお客の満足の行くお酒を作っていた。

亮が初めて前の店に行ったのは、居酒屋のアルバイトで知り合って付き合った憐とだ。

お酒の勉強をする亮の為に憐が予め探していた店だった。

「亮、ここの店のマスターが凄い有名らしいよ!」

「お前、ここって年配オヤジ達の店じゃないのか?」

「バカやな~、そんな癖のあるオヤジを喜ばすマスターが凄いんや~」

「誰が、この店をお前に勧めたんだ?」

憐はにっこりと笑って「私が飲み歩いて探したんや」と言った。

自分の彼女が自分の為に探してくれた店だと思うと、亮も迷わず店の扉を開けた。


店の中には亮の予想通り、40代以降の客が多い。

「いらっしゃいませ」と初老の男性の低い声で招かれた。

最近ではデジタルが主流の時代、今ではそんな言い方もされないだろう。

その時代と逆行して、アナログの音楽機材から流れる音楽。

年季の入った木目の造りに亮は魅了された。

薄暗い店の中、カウンターの椅子に座るとテーブルには、くっきりと木目が見える。

全てが拘りと言っても過言ではないだろう。

お酒の種類も豊富ながら、他の店では見られない珍しいお酒迄置いてある。

店のマスターが酒を造る時、眉間に皺が寄り、如何にも拘りオヤジに見えるが、その声が何より渋い。

「俺も・・・、こんな店が持ちたい・・・」

それが亮の口から出た言葉だった。

亮の言葉に憐は笑みを零した。

次の瞬間、憐は声を発した。

「マスター!」

注文かと思いバーテンの見習いの男性が憐の注文を受けようとした。

「あっ、違う違う、そこの髭の生えたカッコいい方!」

見習いの男性は、自分が呼ばれてないと分かると、静かな声でマスターを呼んだ。

「はい」

静かに響くマスターの声は、倍ほど年齢の離れている憐でも大人の男性の魅力を感じた。

「ここにさ、将来、腕の良いと思えるバーテンの見習いを連れてきたんだけど、ここで雇って貰う事って出来ないの?」

突然の事で店のマスターも驚いていた。

「おい! 憐、恥ずかしいじゃないか!」

憐の話に驚いた亮は、慌てて憐の口に手を当てて話続けるのを防いだ。

「ん~、だ・・・て、ん~」

亮の手で抑えられた憐は、亮の手を外そうもがいていた。

「すいません、この子、少し頭悪くて、どうか許してやって下さい」

2人の様子を見ていた見習いは笑い出したが、店のマスターは真剣な眼差しで2人を見た。

「君は、どこかでバーテンの見習いでもしてるのか?」

「え・・・」

店のマスターに話しかけられ憐を抑えていた手が口から離れた。

「いえ、居酒屋とホストクラブでしか働いた経験しかありません。恥ずかしい話、酒造りは家で独学で勉強しています」

亮の話にバーテンの見習いは苦笑いしているが、店のマスターは腕を組み真剣に考えていた。

「うちの店は悪いが、他の店と違い相当厳しいが、それでも、うちの店で働きたいか?」

「え・・・」

店のマスターの話に亮は驚いて、喜びに打ち震えている。

「はい!!」

2人の会話に亮を連れてきた憐ですら驚いている。

それが前の店で働くきっかけだった。


あの日、憐が俺の為に店を探してくれていなければ、俺はマスターと出会う事さえなかったんだ・・・。

マスターに不義理を働いた事も罪悪感を持たされるが、何より、俺の為に動いてくれた憐に申し訳ない気持ちが浮かんだ。


目の前で将太が必死で店のマスターを抑えようとしていた。

「おい! 亮! もう、お前は店から出てろ!!」

既に将太はマスターに殴られて、顔に痣が出来て頬は腫れあがっている。

その様子を見た亮は、それでもその場を離れない。


前の店に向井が週に2、3日来ていた頃、亮はマスターに毎日のように怒られていた。

亮も内心では我慢できずに怒りが抑えきれないと思わされる時期もあった。

「亮! お前の造るお酒は、ただシェイカーを振ってるだけだろ! こんなものお客さんに出すな! お前はグラスでも洗ってろ!!」

普段は物静かなマスターだが、1度怒り出すと鬼のような形相に変わる為、物凄い恐さを発揮する。

しかし亮も若い為、そのマスターに対して反抗の気持ちを持つ事もあった。

マスターに怒鳴られては、家で練習する。

そして次の日、もう1度同じ事に挑戦する。

そんな様子に常連客の向井は、亮に対して感心させられていた。

ある日、亮が大きな氷を割る為、アイスピックを氷に突き刺した瞬間、氷が2つに割れて床に落ちた。

「亮! 氷を割るのを失敗するとは、お前、何をしてる!!」

「すいません!!」

店のマスターに怒鳴られ、すぐに謝ったが、マスターの怒りは静まらない。

亮を手で押して店の奥に追いやり、亮の手を平手で叩いた。

「酒造りを目指している奴が、氷も割れんとは毎日店で何をしてる!! もう、お前みたいな奴は、この店で不要だ! 家に帰れ!!」

その様子をカウンターに座る向井が聞き耳を立てていた。

向井はマスターの様子を見て苦笑いした。

「マスター、それじゃ~、亮ちゃんが可哀想だよ~」

「お前は黙ってろ!!」

「あ~、マスター、そんな口を客に叩いていいの~」

「何だと!!」

「マスター落ち着いてくださいよ、亮ちゃん、いい腕してませんか?」

「どこがや!」

2人の会話は漫才のように繰り返され、気が付けば向井の思惑通り話が進んでいる。

「まったく、お前の口だけは良く回る口だ」

「いやいや~、マスターが見習いに厳しくし過ぎるんですよ。今時、暴力を振るうような、お店がありますか~♪」

「向井~、お前は、人の悪い所を突いておもしろいか!!」

「アハハ、ごめんマスター! でも、そのぐらいにしておかないと、幾ら亮ちゃんが根性あるからと言って辞めてしまうぞ!!」

「分かった、もうお前に免じて、今日は亮を許す!!」

亮の失敗も向井のおかげで、何度も許して貰っていた。

その時は亮の中でお節介な奴だと思う気持ちも強かったのだが、今、亮の中で向井の思い遣りに気付きだした。

(向井さん・・・、ごめん、俺のした事は・・・)


亮が昔の事を思い出している時、また店のマスターが拳を振り上げて亮を殴りつけた。

もう亮は無抵抗な状態だ。

亮の鼻にマスターの手の甲が当たり、その痛みに負けて亮が後に下がると、躓いて頭から後に倒れた。


俺・・・、こんな所で何をやってんだろう?

何の為に大阪に出てきたんだ?

ただ、いい女が欲しくて大阪に出てきたのか?

確かに大阪の夜の街は、誘惑が多い。

しかし、そんなもの年を食えば何も感じなくなる。

そう考えて、1つの事に拘りを持って行こうと考えたのがバーのマスターだったのじゃないのか?

何をしてるんだろ? 俺・・・。


目を覚ますと、そこに将太の顔が見えた。

「将太さん、俺、寝てたのですか? ここ、何処なんですか?」

「あ、俺の彼女の家だよ。お前、マスターに殴られて床に倒れただろ。脳震盪起こしてさ、そのままここに連れてきたんだ」

「そうだったんですか・・・」

亮は上半身を起こして、部屋の様子を見渡した。

「俺、居てて良かったんですか?」

「良くも悪くもないだろ。あれ以上、店で殴りあいでもされたら客が皆逃げるぞ。それに酒癖の悪いマスターは、お前も良く知っているだろ」

「そうだったんだ・・・。将太さん、すいませんでした・・・」

亮が素直に謝る姿勢に将太は驚いていた。

「亮、今日は泊まっていけ。明日の朝、帰ればいいさ」

将太の行為に甘えて、亮は将太の彼女の家に泊まった。


俺は・・・、向井さんが彼女をほったらかしにしたから、この人にはもったいないと思ったんだ。

1人にされる女の人の事を最初に考えただけなんだ。

綺麗だとか、お金を持っているだとかは、後付の理由なんだ・・・。

その日の夜、俺は1人で自分に言い訳をしていた。

次の日の朝、俺は覚悟を決めて、今の状況を全て片付ける事にした。

2008年7月5日土曜日

第18話:疑心暗鬼

占い師は俺達3人を石に置き換えて、俺達の考えと行動を説明しだした。

その真意を知る俺は、占い師が言う事に驚愕した。



占い師は3つの石を2人の前に置いて3人の関係を示した。

「この透明な石は、今の赤と青の関係について一切知りません」

「それは当然です。何故、別れた後に相手の人間関係を知る必要があるのですか?」

霧子が占い師に放つ言葉は、まるで向井に対しての感情そのものだった。

「奥田さん、これは例え話として受け止めてくださいね」

占い師は笑みを見せて霧子を落ち着かそうとした。

「透明の石は、青の石と離れた事実を未だ受け止めれません。

今も青の石の様子を伺いたくて、形を変えてあなたの前に現れる事もあるのでしょう」

「形を変えてって、どう言う意味ですか?」

霧子は占い師の話を聞くに堪えず、苛立ちの感情を見せた。

その様子を見かねて、亮は小声で「霧子!」と声をかけた。

「ごめん・・・、亮・・・」

心配する亮の様子に霧子は落ち着こうとした。

「いいんだ。占い師の先生は霧子を責めてるんじゃない。

それに、これは占いなんだ。どう受け止めようと俺達の自由なんだ」

既に亮は真実から目を背けようとしている。

その逆に霧子は占い師の言葉を真っ向から受け止めて、占い師の話に怒りの感情すら隠せない。

霧子は自分を落ち着かせようと、少し目を瞑り軽く息を吸った。

「すいません、どうしても先生の言う事が本当のようで・・・」

霧子は占い師に頭を下げた。

「奥田さん、私の言う事なんて口八丁。

こんな時間に来て頂いて、こんな事言うのも悪いのですが、

自分達の行動次第で、先の事なんて幾らでも変わります。

この話は過去の出来事として話しています。

本当の占いとは違います。

ただ先の事を考える題材として、話を聞いて下さい」


再び占い師は説明を始めた。

「この透明の石の方は、今、自分の気持ちを閉じています。

しかし青の石に対しての想いが強く残り、強い念がでています」

「その念が強いとと、どうなるのですか?」

霧子の頭には念と言うのは、執念ではないかと思え気味悪がった。

「良く聞かれる事なのですが、死んだ人の念が残り幽霊になって現れると言いますね。

それと同じ事で、生きている人からも念が現れる事もあります」

「生きている人からも霊が出るって言う事ですか?」

「はい、強い念であれば、はっきりと姿を確認できる場合もあります」

「私は、その念のせいで嫌な目に遭っているのですか?」

「それは分かりません。ある程度強い念を感じる以上、当分続くとは思います。

生きている人の念と言うのは、1度放たれると本人の意志とは関係なく現れますので」

「じゃあ、私がこれだけ困っていても相手は何も知らないと言うのですか!」

「はい、本人の意志とは無関係です。透明の石は青の石を心配してるだけです」

2人の会話を聞いていた亮が突然、大きな声で笑った。

霧子は突然の出来事で、亮がおかしくなったのでは?と思わされた。

「どうしたの、亮?」

霧子が亮の方を向くと、亮の表情は笑い顔から真剣な表情に変わった。

「悪いが、そんな話、誰が信用する?」

「私は、あくまで1例を申し上げただけです。それを信じるかどうかは2人の自由です」

「その話が本当だとしても、何故、彼女を恐がらせる必要がある?」

「別に恐がらせてなんていません。霊の存在云々より、人の想いを無視した行動に問題があるのです。

人の想いを無視した行動は、後々罰が下るのが基本的な流れなのです」

その言葉に今度は亮が冷静さを掻いた。

「仮に俺が人の想いを忘れていると言うなら、ここに大切な存在である霧子を連れて来るか?」

「亮・・・」

亮の発言に占い師を目を瞑り黙って聞いていた。

「押し問答をするつもりはありません。では質問させて下さい。

香川さん、あなたは前の店で不義理を起こしてますよね。

そして1人の人の気持ちを自分に向かせる為に誰を苦しませましたか?」

占い師の質問に亮は答える事が出来ず、突然立ち上がり全身が震えていた。

「亮? 大丈夫? もう帰ろう・・・」

亮の事を心配した霧子は、亮の腕を掴みながら訴えた。

「・・・霧子、悪い、少し席を外してくれないか?」

「え・・・、でも」

隣に居る亮は、霧子の知る亮ではなかった。

眉間に皺が寄り、占い師に対して怒りを抑えているようにも見える。

「分かった・・・」

その場を静かに立ち上がり、霧子は玄関の方に向かって行った。

霧子が玄関の扉から外に出てから、亮は腰をおろした。

「香川さん、私の話は図星ですよね? 今、霧子さんの傍に居るのは間違いなく前の彼氏でしょう」

「霧子も気持ちの悪い夢ばかり見ているから、そうなのかもしれない」

「前の彼氏の方は、あなたに騙された事も知りません。

一応、あなたの事は疑っていました。

そこは、以前、あなたが1番お世話になったマスターがあなたを守っています。

あなた自身、どれだけ不義理をしているのか分かりますか?」

「それは分かっている。だからこそお酒造りの情熱も捨てたんだ。霧子さえ手に入れば、俺は何も欲しがろうとは思わない」

「あなたの強い想いは、元々、お酒造りにあったのでしょう。

お酒造りに対して数々の努力をしたからこそ、お世話になったマスターからも認められたのです。

その気持ちを無視して、自分の立場が変わったからと言って、想いの変化を起こしてどうするのですか?」

「だったら、俺にどうしろと言うんだ」

占い師の表情が変わり、亮に笑みを見せた。

「私には、今のあなたが霧子さんを守れるとは思えません。

ですが、お酒造りの情熱と同じぐらいの気持ちで霧子さんを愛せるなら、

これからも霧子さんを守れるでしょう」

「じゃあ俺が霧子と一緒に居る事は悪い事でもないのか?」

「悪いも何も、悪い事をしてでも付き合いたかったのは、あなたなのでしょう。

だったら、これからも責任持って愛していけばいいんじゃないですか?」

その言葉に亮は救われる気持ちがした。

「すいません・・・、少し熱くなりすぎました」

亮は占い師に頭を下げた。

「想いの変化なんて、誰にでもあるでしょう。

誰かを好きになっても、また違う誰かを愛せるのも想いの変化。

何かを目指して情熱を持って向っても、途中で情熱がなくなり他の事に情熱が移る。

それも想いの変化。人の心を覗く事が出来てしまった場合、人の恐さが理解できて外に歩けなくなりますよ」

と苦笑いしながら占い師は言う。

「そうですか・・・」

そんな占い師に亮も同情したが、自分の心を見透かされていると思うと気味悪い。

「このぐらいにしておきますか? それとも、もう少し占いますか?」

「いや、今日は、このぐらいにしておきます・・・」

この時、亮は向井から霧子を奪う行動を起こした事を、初めて後悔した。

「ありがとうございます、また機会ありましたら、占って貰えますか?」

「予めお電話だけください」

占い師は亮に微笑みながら言った。

その表情を見て亮は気持ちが落ち着きだした。

そして亮は占い師にお金を支払い、マンションを後にした。


占い師が言うように、この先も霧子を愛する事が出来れば問題ないのだろう。

だが俺の中に一抹の不安がある。

向井の事ではなく、霧子の精神的な状態だ。

毎日、掛かる電話については、警察に連絡すれば解決するかもしれない。

しかし俺の行動を占い師に聞いた事で、霧子がどう思っているか分からない。

もし、ここで霧子が俺を疑うようになっていたら・・・。