2008年9月17日水曜日

消える家族愛

 「人は何故、人を愛するのだろう」

 今の私は考えても仕方ない事ですら深く考えてしまう。
 前年、妻と子供を交通事故で亡くしてしまい、1年経っても未だに辛さを乗り越える事が出来ません。

 事故が起きた当時、身内や会社の同僚が私を心配してくれました。周りに甘えてばかりも居られず、必死で仕事をしようとしましたが、頑張れば頑張る程、自分が何の為に働いているのか? そんな疑問を抱えてしまいました。

 もう頑張るのはいいだろう?

 日が経てば経つ程、私の中に出来た隙間は大きくなります。


 「少しだけ私の話を聞いて貰えますか?」

 今から10年前、私は愛する女性を見つけ3年の恋愛を経て結婚しました。私の愛した女性は、とても人に優しい人で、笑った時などは愛嬌もあり周りの人の気持ちを和ましてくれます。見た目に綺麗とは言えなくても内面から滲みでる出る優しさ、そして笑顔の素晴らしさ。私にとっては最高の人でした。
 その妻と結婚して1年後。私達夫婦の間に男の子が生まれました。愛する妻と私の子が産まれる瞬間。まるで妻に天から後光が射していると思わされました。大袈裟な話なのですが、出産を立会い感動を得ています。その感動は言葉で表せる程、簡単なものでもありません。
 そして私達夫婦の育児生活が始まり、私は仕事、妻は家事と自分に課せられた役目を最大限に努力していきました。努力すると言うのは、本当に素晴らしい事です。努力すればする程、その幸せも深く感じる事ができたのです。
 人が苦労なくして幸せはないと言うのは、この事だと感じさせられました。

 子供がハイハイして動いた時、次に子供が立ち上がって歩く時、その成長する姿は日々私達に感動を与えてくれました。
 子供から初めて「パパ」と言って貰った瞬間。お子さんが居る人なら、その喜びの大きさが理解できると思います。

 「どんな苦労を背負っても、家族の為に頑張る」

 1ヶ月に1度、実家に子供を預けて、私達夫婦は外食をしました。食事の後は、妻が好きな映画を観に行くのが私達夫婦の習慣です。それが妻に出来る私からの感謝の気持ちです。恥ずかしながら映画を観に行っても私は寝ています。
 結局、妻は寝ている私に気遣い1人で映画を楽しんでくれました。それでも妻は映画に連れて行ってくれた事を喜んでくれてもいます。私には本当に過ぎた妻でした。

 やがて子供が幼稚園に入園、初の運動会、発表会。卒園式では妻が子供の成長に感動して、突然、涙を流す場面もありました。
 子供が小学校に入学してから、子供は一緒にキャッチボールをするよう、私にお願いをしてきました。そんな子供とは何度か一緒にキャッチボールをしています。
 運動音痴の私でしたが、誰に似たのか? 子供は運動神経が良かったです。周りの友達からも、親しみを覚えて貰え幸せな子でした。

 妻が32歳、子供が7歳の時、我が家は一変しました。昨年、私達夫婦の夢であるマイホームを購入した後、私の念願のマイカーも手に入れました。家を購入して1ヶ月は、幸せの絶頂期だったように思えます。
 そして子供が39度の熱を出した時の事です。平日の昼間だったので、妻が子供を車に乗せて病院に行きました。
 そんな日に限って、妻は普段使わない道を走っていました。病院へ急ぐ為です。
 制限速度50Kmの道路だったのですが、周りの車は80Km程の速度を出しています。妻も危ない道路だと言う事は認識持っていました。念の為、車の前後に初心者マークも張っていました。
 安全を心掛けた妻の車の前後には大型トラックが走っていました。長い直線を抜けてカーブに差しかかる手前で妻の車の前にワゴン車が突然割り込んできました。その時、前を走るトラックはカーブが近付いて速度を落としました。
 ワゴン車はトラックの減速のタイミングに間に合いませんでした。妻は普段から車間距離を開ける方です。しかしワゴン車が突然割り込んだおかげで、充分な車間距離も取れていません。トラックの後ろにワゴン車が追突して、その後から妻と子供が乗る車が追突しました。
 そして悲劇が生まれました。妻の車の後ろを走っていたトラックも減速が間に合わず、妻と子供の乗る車の後からトラックが追突したのです。
 我が家のマイカー、2人で生活をやりくりして貯めたお金で買った車です。特別性能が良い訳でもなく、大きさ的にも3人が乗るのに丁度良い大きさの車でした。
 大型トラックに追突されると一溜まりもなく、トラックとワゴン車、いえ・・・、最終的にはワゴン車の前を走るトラックと我が家の車の後を走るトラック同士の間に挟まれて、ワゴン車と我が家のマイカーは大破していたのです。

 事故が起きて1時間後、私の会社に電話が入りました。私が電話を受けた時、既に妻も子供も亡くなっています。
 その日の朝、私達家族は3人で朝食を取っています。次に霊安室で家族が揃うなんて誰が想像しますか?
 病院に着くと、看護士に妻と子供が居る霊安室に案内され、霊安室のドアを開けた瞬間、私は目の前が真っ暗になりました。その場で泣く事も出来ず、後から駆けつけた妻の母親が声を上げて泣き崩れたのを何となく覚えているぐらいです。私は時間を忘れて霊安室で妻と子供の傍に居ました。

 私は今迄、何不自由なく生きてこれたと思っています。それだけ幸せだったのなら、不幸があっても当たり前だと言われるかもしれません。もし、そう言われる人が居るなら・・・。
 私は妻と子供を失う経験を・・・。すいません・・・、少し感情的になりました。

 今日は何もかも忘れる為、レンタカーに乗って九州に向かっています。もちろん車に乗るのは抵抗あります。しかし辛い気持ちを抱えて家に1人で居る事は、もっと辛いのです。
 九州に行って何かする訳でもないのですが、とにかく遠くへ行きたかったのです。今は丁度、兵庫県の宝塚を中国高速道で走っています。
 目の前に大型トラックが走っています。ここ迄、来る間に何度トラックを見たか分かりません。しかしトラックを見る度に嫌な思いをします。
 情けない話なのですが、自殺できるなら実行したいです。それでも私には、その勇気がありません。その繰り返しで今日も凄く苦しい思いをする羽目になりました。

 私はアクセルを強く踏み込み、徐々にスピードを上げました。排気量が3000ccあるので、それなりに加速ができます。このスピード感のおかげで何もかも忘れる事が出来そうです。
 前方、約1Km先にトンネルが見えてきました。スピードメータを見ると時速が170Kmを超えています。こんなスピードで事故を起こせば死んでしまいます。妻の運転は、こんなスピードを出していた訳でもありません。一部のマナーの悪い運転手のおかげで私は妻と子供を失いました。
 スピードメーターを見ると時速が180Kmを超えました。やはり高い車は性能がいいです。

 この状態で目を瞑り、数秒経てば私も楽になれるのでしょうか?

 本当は、こんな事をする為に来た訳でもないです。でも話をしている内に私は疲れてきました。実家に居る両親には申し訳ないのですが私も限界です。

 「亜希子、私を許してくれ。直弥、こんなパパを許してくれ」

 目を瞑りながら呟くと、その直後、私の腕に何か触れた感じがしました。
 目を開きバックミラーを見たのですが、当然、この車には運転する私しかいません。アクセルを踏み込む右足の力が緩まってしまいました。
 もう1度、アクセルを踏み込みました。また腕に何か触れた感じがします。確かにギアに手を置く左腕を誰かに掴まれた感覚があります。
 私はハンドルから右手を離し、左腕を右手で触りました。今度は右手の上から何か触れた感じがしました。またアクセルを踏み込む右足の力が緩んでしまいました。
 車の速度が一気に落ちたので、私はハンドルを両手で握りました。もう1度アクセルを力強く踏み込みました。その時、バックミラーを覗きました。
 バックミラーには後部座席が映っていて、そこには亡くなった子供が座っているように見えます。私は驚いて後部座席を見ました。しかし後部座席には誰も居ません。

 気が付くとアクセルを踏んでいた筈の右足がアクセスから離れていました。そして私が前に振り向いた瞬間、腕に暖かい感触が走りました。

 「お父さん、駄目」

 私の耳に声が聞こえた感じはありません。そんな風に幻聴が聞こえたのです。

 亡くなった我が子が傍に居るような感覚に襲われ、私の目には涙が溜まり始めました。

 「パパも今、お前の傍に行くからな!」

 誰も居ない車、1人狂ったように叫びました。ハンドルを強く握り、右足でアクセルを力強く踏み込もうとした時です。

 「お父さん、駄目」

 また幻聴が聞こえます。私はゆっくりとバックミラーを覗きました。亡くなった我が子の姿がうっすらと見えているようにも思えました。しかし後ろを振り向くと子供の姿はありません。
 後部座席の後ろの窓から見える光景。それは綺麗な緑の山に囲まれた道路がずっと続いています。家族で見る光景であれば、とてもドライブには最適な場所かもしれません。

 悲しみに暮れてばかりもいられません。前を向くとそろそろトンネルの中に入ろうとしていました。トンネルの先を見ると距離が短い為、トンネルの出口の付近が見えます。
 トンネル出口付近で霧が発生していました。空を見れば青く雲1つない天気です。こんな天気の良い日に霧が出る訳ありません。

 「霧の向こうには何があるのだろう?」

 晴れた天気の霧、その向こうに興味を示し、私はアクセルを踏み込みました。
 トンネルに入るとエンジン音が「フウォーーーン」と共鳴しました。こんな身近なトンネルで音が共鳴するのも不思議な話です。まるでトンネルが長く続いている感じもします。

 「あなた、これから独りで頑張るのよ」

 今! 今! 妻の声が!

 また幻聴に襲われたのかもしれない。でも、確かに妻の声がしたのです!

 居る筈もない妻の姿を探して、助手席、後部座席、そして前方を向くと。


 私は・・・霧の中に入っていた・・・。


 アスファルトを走っていた筈なのに、突然、砂の上を走っている感覚に変わった。
 180Kmのスピードで突然砂の上を走ったら?

 滑る!

 俺の運転する車の前輪のタイヤが砂の高低差のある所でハンドルが取られ車体が横滑りしだした。ハンドルから感じる砂の抵抗は砂の重さを感じる。恐らく砂は濡れているか湿っている。横滑りする車のタイヤで円を描くように砂を大きく削って、次の瞬間車体が真っ直ぐになり前に進んだ。そして鈍い水の音を発してボンネットが水に浸った。

 俺は何をしてるんだ?

 水がマフラーから侵入してエンジンが止まったのでドアを開けて車の外に出た。車から降りると足が水の中に浸かった。正面を見ると海が遠くの方迄続いている。そして今自分が砂浜に居る事に気付いた。
 そうか! 俺は本州から明石大橋を渡って淡路島に入っていたんだ。お金がもったいないから高速を下りて、鳴門大橋迄は一般道を走ろうとしていた。それが鳴門大橋を渡るのに高速に戻らずに走り続けてしまったのか。その間に俺は居眠ったのか・・・。
 来年俺も卒業して社会人になる。それなのに一瞬の間に長い夢を見ていた。何故、結婚もした事もない俺が、家族を失う夢など見たんだ? そんな細かい事も次第にどうでもよくなり忘れ去ろうとしている。

 「あ~、俺のボロ車・・・、どうする?・・・。仕方ないか・・・、どうせ貰った車だし・・・」

 海を背に向け砂浜のタイヤの跡を辿って、俺は歩き始めた。それにしても、俺はいつから居眠りなんてしたのだろう?
 淡路島をひたすら走ってきた最中に見た霧。あの「霧の向こう」には何があったんだろう?

< 完 >