2008年12月24日水曜日

第6話:クリスマスイブ

街の至る所でクリスマスソングが流れ、光のイルミネーションは眩しい程に輝いていた。
仕事が終わり、五郎は昨日と同じ定刻で仕事場を出て家に帰っている。家に帰ると先日の蝋燭を灯した後片付けをしていない。一階のテーブルの上には、蝋の溶けた蝋燭が寂しく置かれていた。
何となく元気の出ない五郎は、その蝋燭に火を点けた。そしてテーブルの上に顎を乗せて何も考えずに蝋燭を眺めた。

時刻が夜の八時を過ぎた頃、五郎の携帯電話が鳴った。着信音にクリスマスソングを登録していたが、それが余計に五郎の気分を憂鬱にさせる。ディスプレイを見ると、瑞樹からの電話だと分かり、「しまった、今日、祝って貰う約束をしてたんだ」と言いながら慌てて電話に出た。
「もしもし、遅くなってすいません。今から心斎橋に出てきて貰えませんか?」瑞樹は急ぎで用件を五郎に伝えた。
「あぁ、分かった。じゃあ今から行かせて貰うよ」五郎はのんびりと返答した。

五郎が心斎橋に着いたのが夜の九時過ぎ、さすがにクリスマスの心斎橋となると綺麗なイルミネーションが多い。五郎は携帯から瑞樹に連絡を入れて店の場所を尋ねた。五郎は瑞樹に言われた道を進むと細い路地が見え、細い路地には雑居ビルがたくさん並んでいる。そんな中に瑞樹の言う店があるのか五郎は不安になった。良く見ると何となく雑居ビルにもクリスマスの飾り付けがされていていた。
人が少ない上に、暗がりに光るクリスマスの飾りつけ、そこの通り自体が幻想的な世界を映し出していた。
五郎が歩き続けるとイタリアンのメニューを木の板で縁取る看板が置かれていた。店の名前を見ると瑞樹の言っていた店だと分かり、五郎はそこの雑居ビルの中に入った。
二階に上がると、瑞樹が嬉しそうな顔をして五郎を出迎えた。
「来てくれたんですね。ありがとうございます」と瑞樹が五郎に礼を言う。
その様子に五郎も少し驚いたが、店の中を良く見ると、ウェスタン風の木の造りの店で凄く雰囲気が良い。そこが雑居ビルの一室だとは誰も思えない場所だ。
「あっちに席を用意しているので」と瑞樹が言った。
五郎が瑞樹の指す方向を見ると菅原と岸川がテーブル席で待っているのが見える。
菅原 則斗(すがわら のりと)、二十五歳。前の会社で瑞樹と同期の社員。前の会社は五郎が辞める以前に辞めている。今は五郎の紹介で別の会社で働いている。ユーモア溢れるセンスの持ち主で、人と話す時などは笑いを誘い、相手を楽しませるのが上手い。
岸川 智子(きしかわ ともこ)、二十五歳。前の会社で菅原同様、瑞樹と同期の社員。前の会社は五郎が辞める以前に辞めている。今は五郎の紹介で別の会社で働いている。仕事をする時の要領が凄く良く、周りからの評判が高く、男性からも好かれやすい。一時期、五郎の部下の一人が岸川に惚れて、五郎も悩まされた事がある。

五郎が空いている席に座ろうとすると、左手に菅原、正面に瑞樹、右手に岸川が座っていた。
五郎は、これから話す事を想像すると、皆の残念そうな顔を頭の中で浮かべた。それを想像すると五郎は段々笑いそうになっている。
五郎の様子がおかしい事に気付いた瑞樹は、「ところで畑田さん、彼女はどうなったんですか?」と早速昨日の事を尋ねてきた。
五郎は笑い始めて、「振られた」と一言で瑞樹の質問に答えた。
「そうだったんですか・・・」瑞樹は残念なそうな表情を浮かべたが、当の五郎の様子が明るいので、それ程心配する事もないと安心した。
菅原は五郎の心情を気にして、心配そうな顔をしているが、恋愛に長ける岸川などは五郎の笑う様子に呆れている。
既に五郎の中では、昨日の事より、この場を用意してくれた事の方が嬉しい。
やがて菅原が五郎の杯を用意して、「まあ今日は飲んでください」と五郎にグラスを渡した。
五郎はにっこりと笑い、「菅原、ありがとう」と礼を言った。

四人の杯が進み、少し舌が回りだすと菅原は五郎の片想いの話を聞いてきた。
「畑田さん、昨日、振られたのですか?」
嫌な事を思い出させると思う五郎だったが、菅原の心配そうな顔を見て、次第に自分の気持ちがどうでも良くなっている。
(まっ、この連中に聞かれるなら、別に構わないか。よ~し、何でも話してやるぞー)

話が進んでいる最中、瑞樹は突然席を立ち、五郎のプレゼントを目の前に差し出した。
「これなら畑田さんも喜んで貰えると思って」
五郎がプレゼントを開け始めると、缶の入れ物が出てきた。缶の蓋を開けてみると、中からお菓子と小さなビリヤードのボールが二つ入っていた。
普通であればビリヤードのボールなど貰っても喜ぶ事もないが、五郎にとってはビリヤードのボールは嬉しい物だ。
「朝の弱い畑田さんに早く起きて貰おうと、これをプレゼントします!」
隣に座る菅原からプレゼントを受け取り、包み紙を開けてみると、そこにはラジオ付きの目覚まし時計が入っていた。
五郎もプレゼントを貰うのは初めてではないが、プレゼントにも思い遣りが込められていると思わされた。
大事な仲間から祝いたいと思う気持ちが何より五郎には嬉しかった。その思い遣りが五郎の中で幸せな気持ちを充満してくれる。五郎は三人の顔を見渡して一人ずつ心の中でお礼を言った。

ありがとう……。

店の中には至る所に蝋燭が灯されていて、それはまるで店の中に居る一人一人の気持ちを映し出しているようにも見える。店の電灯を点けずに蝋燭の暖かみのある明かりが、クリスマスの時間帯を幻想的に彩る。そして、それを感じた客は一層幸せな気持ちになり、凄く和やかな雰囲気を作り出している。
五郎が店に入ってからは、外は無人の状態に戻り、人の居ない幻想的な町並みを取り戻していた。

そして五郎の居る店からは、訪れた人達の幸せな笑い声が響いた。

第5話:返事

夕凪と別れた後、五郎が家に着いたのは、時刻が二十三時を過ぎた頃だ。
五郎は自分の誕生日が終わる事を意識していた。後、一時間も経たない内に、今度はクリスマスイブを迎える事になる。その前に五郎は、家に着いた事を夕凪にメールをした。
五郎は恋愛に不器用な夕凪に気付いている。その上で夕凪の人間性を直視すると、人の思い遣りを充分に感じられる人だと思った。そこで五郎は夕凪の事が好きになれると核心していた。

 今日は付き合ってくれてありがとう。

 誕生日に好きな人と一緒に居たのが何より嬉しかった。

 まだ起きているようだったら、メールさせて貰います。

五郎のメールの返信は、数分後に届いた。

 こちらこそ、ありがとう。

 何もしてあげられなかったけど、こんな誕生日で本当に良かった?

 まだ起きてるから、良かったらメールください。

返信されたメールの内容を五郎は微笑みながら読み終えた。

五郎はテレビを付けて、残りの誕生日の時間を静かに過ごそうと考える。しかしテレビを観ても内容に集中できなかった。五郎の頭の中で色んな事が浮かんでいたからだ。
学生時代の頃を思い出すと、昔母親から貰った綺麗な蝋燭を思い出した。その蝋燭を五郎は探し出すと、部屋の明りを消して蝋燭に火を点けた。
蝋燭の火がうっすらと部屋を明るくする。そして蝋が滴り、ほのかに甘い臭いが部屋の中で充満した。
部屋の中が蝋燭の火で少し暖まる。そして五郎の中で寂しさが増していく。
(メグから、どんな答えが返ってくるのか?)
五郎は夕凪の返事が気になりだし、数分刻みで夕凪の返答が気になって仕方なくなりだした。その状態が続き、五郎は夕凪の返答が待ちきれなくなって自分からメールをした。

 メグ、急がす事になるかもしれないけど、少し俺の事を考えてくれた?

夕凪は、即座に返信をした。

 今、十チャンネルを観てますか?

 凄いおもしろい番組をやってますよ。

五郎の話を流そうとする夕凪のメール。それが五郎に結果を想像させる事になる。

(もしかして……)

五郎はある事に気付き、十二時が過ぎると再び夕凪にメールを送った。

 メグ、まだ起きていますか?

 良かったら電話してもいいかな?

はっきりと夕凪の気持ちを聞くつもりで、五郎はメールを送信した。そして夕凪から五郎の携帯に電話が入った。
夕凪は「ごめん、起きてた?」と五郎に気遣う。
夕凪の一言で五郎は全てを悟り、思った事を口に出した。
「メグ、返答はNOなんだね」
普段なら夕凪もストレートに返すが、この時は違っていた。一瞬の間が五郎の予想に自信をつける。
(答えがYesなら、瑞樹の約束に彼女を連れて行く事が出来る。答えがNoなら?)
悪い想像に五郎も息を呑みこむ。次の夕凪の一言を五郎は静かに待った。そんな五郎の居る部屋を、蝋燭の灯りは幻想的な色を映し出していた。

第4話:告白

二十三日の夕方、夕凪と新大阪の駅で七時に待ち合わせしている為、五郎は定刻を迎えると職場を出た。
五郎が新大阪に着くと、待ち合わせの時間には少し時間が余っていた。(いよいよ、今日はメグに告白するが、さて上手く行く物だろうか……)少し緊張感を感じた五郎は落ち着きを少し失った。
七時五分前、五郎の前に夕凪が姿を現した。茶色のコートに、それに見合うスカートとブーツを履いている。
夕凪の姿を確認した五郎は、「メグ、来てくれてありがとう」と微笑みながら言った。
夕凪は、「うん」と一言返事した。
夕凪は五郎の誕生日を祝うなら、別の形で食事などして誕生日を祝ってあげたい。そんな気持ちを持っていた。普段、人にストレートに発言する夕凪も、人に何かをしてあげるのは苦手だ。誕生日や結婚式等の祝い事に、過剰反応して祝ったりする事が全く出来なかった。
夕凪の返事の後、五郎を先頭に二人は無言のまま駅の中に入り、快速電車に乗って神戸の三宮に向かった。

神戸の三宮に着くと駅の周辺はたくさんの人で賑わっている。二人はルミナリエを見る為、駅構内から外へ移動しようとするが、人混みの多さから、駅の構内を抜けるのに時間が掛かった。
ようやくの思いで駅の構内を抜けると、今度はルミナリエに近付くにつれて人混みが多くなっている。
その様子を見た五郎の昔の記憶が蘇っていた。五郎が三十歳になる直前に別れた彼女、”夢”の事が脳裏に浮かんでいた。

五郎がルミナリエに初めて来たのは、夢と付き合った頃の事だ。寒い季節、夢は外に出掛けると身体が固まり動く事も出来ない事がある。更に長時間歩くだけの体力もなかった。
それでも夢はルミナリエの色鮮やかなイルミネーションを見たくて、寒い季節の中を耐えてルミナリエを見たがった。
その時、五郎は夢の様子に注意している。出来るだけ夢の体力を奪われないように、人混みでは周りの人に押されるのを防ぐ為、五郎は夢の後から腕で輪を作って、その中に夢を入れて歩いている。もし夢が疲れた時は、腕で作った輪を広げて夢の体重を腕にかけて体力が奪われるのを防いだ。
夕凪とルミナリエを歩く途中、五郎は夢が体力を失い倒れた場所を思い出した。商店街の入り口の電信柱。そこは夢が目眩を起こし意識を失った場所。五郎は徐々に悲しい感情に襲われていた。
商店街の入り口を通過すると、五郎も夢の事を頭の中から振り払った。夢の事を思い出していた五郎は、昔の事を思い出している自分に反省した後、夕凪の方を見た。
しかし夕凪も先程の五郎と同じように悲しい表情をしている。
(もしかして、メグも誰かの事を思い出しているのか?)そう五郎は思った。
夕凪は五郎と知り合う前、一年程付き合った彼氏が居た。夕凪が彼氏と別れた理由は、お互いの時間が合わず、会える事が少なくなっていた時期、彼氏が夕凪に軽い嘘を付いた。それが夕凪の怒りを買う事になって、夕凪から別れを切り出している。
ルミナリエを通過する間、二人の胸中は過去の辛い出来事を思い返していると五郎は感じた。
やがてイルミネーションが輝く通りを抜けて、大きな公園に出てきた。公園の中には屋台が幾つか出ていて、公園の出口辺りでは募金を募っている人達のいるテントも見えた。
「ねえ、メグ、募金しない?」と五郎が言い出した。
夕凪は不思議な顔をして、「どうして?」と尋ねた。
五郎は夕凪の方を向き、にこっと笑いながら、「来年もルミナリエを見る為さ♪」と言った。
ルミナリエは阪神大震災以降、毎年12月に鎮魂の意味を込めて行なっている。そのイルミネーションは訪れる者を魅了させる。五郎もその1人だ。しかし近年、開催者も資金を募るのに苦労をしている。その為、毎年、ルミナリエでは募金をしていた。
公園を出る時、五郎は財布から五百円玉を取り出して募金箱に投入して、二人はルミナリエの会場から出ようとしたが、その時、夕凪がおもしろい店を発見した。
「ねえ、あそこで宝くじを売ってるけど買わない?」
「えっ、宝くじ?」
五郎には夕凪が何を思って宝くじを買おうとしているのか想像も付かない。
夕凪は微笑んで「今日、一緒に来た記念よ」と言った。
夕凪の言葉に五郎は、(ありがとう)と心の中で感謝した。
次の瞬間、五郎は元気よく、「よし! じゃあ、スクラッチ買って、少し高い金額が当たれば何が食べに行こう!」と言った。

二人は宝くじ売り場で、千円ずつ出し合って十枚のスクラッチカードを買った。そして小銭を出して、二人で次々とスクラッチを削っていった。
夕凪は結果を真っ先に求める為、削るのは真中からだ。だから、あっと言う間に持分の五枚を削ってしまった。残念ながら夕凪のカードからは、一枚も当たりが出なかった。
五郎は夕凪と違い、慎重に端から順に綺麗に削る。その様子に夕凪は、少し呆れて駅に向って歩き始めた。夕凪が離れて行っても、五郎は綺麗にスクラッチを削る。五郎が最後の一枚を削ると千円が当たっていた。
その時、五郎が夕凪の姿を目で探すと、既に宝くじ売り場から離れた場所にいる。五郎は急いで夕凪の傍に向った。
夕凪の傍に追いついた五郎は、「メグ、千円当たったけど……、換金は……、今度でいいか」と笑顔で五郎は言った。
五郎の笑顔を見て、夕凪も呆れていた気持ちに反省の念が浮かんだ。
夕凪も笑顔で、「じゃあ、早速、持って行こうよ」と気持ちを盛り上げようとした。
その言葉に五郎は微笑んで、「いいよ。また今度にしよう」と言った。

二人が駅に向かって歩いていると、人だかりが出来ている場所が見えた。何をしているのか気になった五郎は、その人だかりの向こうを見ると、一人の大道芸人がショーを行なっていた。
五郎は普段から路上でライブをする人や、芸を披露している人がいると、一人で歩いている時も立ち止まって見る事がある。
「メグ、少し観ていかない?」
夕凪は五郎と違って大道芸人に興味はないが、五郎の誕生日だから我慢する事にした。
二人が大道芸人の近くに向っている時、夕凪は「好きなの?」と五郎に尋ねた。
五郎は笑顔になって、「まあね♪」と返答した。
突然、五郎は夕凪の手を引っ張り出して、小走りで大道芸人の居る場所に近付いた。

大道芸人は燃え盛る棒を空中に向かって放り投げていた。くるくると回る燃える棒を次々とキャッチしては、観ている人の拍手を浴びていた。
五郎は人の間の隙間を見つけては、遠慮せずに入り込んで前に進んだ。大道芸人の顔がはっきり見える場所に出ると、いきなり五郎の足が止まった。
(あの人だ・・・)
それは大阪城で夢と一緒に見た大道芸人だった。
今から5年前、大阪城で夢と散歩している時、人の往来が少ない所で大道芸人が一生懸命汗を掻きながら芸をしていた。その時は駆け出しの大道芸人だったせいで、一つの芸を成功させる度に大道芸人自身が胸を撫で下ろす様子を見せていた。
何度か芸に失敗する事もあるが、その時は関西人独特の笑いで、その場を収めようとした。しかし観ている人の立場では、その失敗が凄く滑稽で面白味ある物で、丁度、サーカスのピエロが大道芸人を勤めている感じもする。
「それでは! 行きます! 行きますよ! 恥ずかしいので、あっちを向いててください!」
そんな風に自分を滑稽に見せる事で、人の笑いを誘い、成功した時には、よくやったと客から拍手を浴びていた。
その時、五郎は大道芸人を真剣に直視している。何かする度、大道芸人の額から大粒の汗が流れる。その汗から失敗を恐れている事が分かる。バンドで舞台に立っていた五郎には、その大道芸人が人前に立つ事すら慣れていない感じを受け止めている。
そして最後迄、夢と二人で芸を観ていた。終わった後、五郎は財布から千円札、それは二人分を楽しませて貰った気持ちで五郎は大道芸人の帽子に入れた。
月日を経て、あの大阪城で観た大道芸人が目の前に居る事を五郎は驚いていた。夢と一緒に観た時と違い、大道芸人は人前に立つ事を恐れていなかった。大道芸人の後のスピーカーから流れる音楽も勢いのあるロックが流れている。
月日の流れは、大道芸人の芸にも技が加わるだけでなく、表情にも余裕がある上に汗が流れても気付かないぐらい化粧もしている。
(凄い、あれだけ上手くなっていたんだ)五郎は感心していた。

大道芸人の最後の芸が終わり、周りで観ている人が去って行く中、五郎は財布から五百円玉を取り出して前に進んだ。昔は大道芸人も帽子を持って、観ている人の前に自ら出て行ってお金を貰おうとしていた。
しかし今は違っている。もう自分の足で貰いに行かなくても、客が自分の意志でお金を入れてくれる。日々の努力の積み重ねで、自分の自信が確立された証拠だろう。
五郎は帽子の中に五百円玉を入れて、大道芸人の顔を見た。大道芸人も五郎に見られている事に気付き五郎を見た。顔を見合した二人は微笑んだ。それは二人が若い頃に合った事を覚えているような微笑方だった。
五郎はゆっくりと夕凪の傍に戻り、再び駅の方角へ向いて歩いた。
五郎は夢と別れた後、恋愛に関しては間を空けている。別れた原因が自分にあったと気付いてから、恋愛するには未熟だったと認識して、人の思い遣りを再認識する上で努力していた。
地下に降りる階段が見えて五郎は歩くのを止めた。そして夕凪の方を振り向いた。

「メグ、君の事が好きです。俺と付き合ってください」

突然の事だった。夕凪もそれには驚いている。
五郎は微笑みながら、「まあ、いきなり言って返答をくれとは言えないな! メグ、少しだけ俺の事を考えてくれる」と言葉を付け足した。
夕凪の性格からして回答を求めると答えを出すのが早い。そう考えると、一瞬で振られる事も考えられる。だから五郎は言葉を付け足して、振られるとしても少しぐらい自分と付き合うかどうか検討して欲しいと思った。

神戸の三宮から快速電車に乗り新大阪に戻ろうとしたが、帰りはルミナリエを観た人で電車の中は混雑していた。五郎と夕凪は、その間、密着した状態が続く。
途中の尼崎で酔っている男が電車に乗ってきた。その男が夕凪の方に人の波に押されて近付いた時、男は夕凪の方を見てコートの臭いを嗅ごうとした。
男の仕草から嫌な気持ちが浮かび、夕凪が嫌な顔をしようとした時、五郎が夕凪の手を引き、お互いの立ち位置を交代した。
男は自分の近くに女性でなく男性が立っているので、しかめっ面をしてる。その様子を見て、五郎は夕凪に笑みを送った。

快速電車が新大阪に着き、二人は電車を降りて地下鉄に移動した。地下鉄のホームに出ると二人の方向は違う為、そこで別れる事になる。
先を歩いていた五郎も、そこで夕凪の方を見た。夕凪は五郎の誕生日をルミナリエで終わらせた事を少し後悔している。
不器用な女性だと言うのは五郎も知ってか、「メグ、今日は俺の誕生日を祝ってくれて、本当にありがとう」と五郎は夕凪にお礼を言った。
まだ後悔している夕凪は、(私、一言もおめでとうも言ってなかったのに……、こんな誕生日で良かったのかしら?)と夕凪は疑問に思った。
誕生日、一番のプレゼントと言うのは、祝ってくれる人の気持ちである。それを五郎も七歳年下の夢から学んでいる。
五郎は自分の誕生日、異性として興味ある男性でもない自分に対して、夕凪が付き合ってくれている事と感じていた。祝ってくれる気持ちがあるから、誘いに応じてくれたと五郎は思っている。
五郎の乗る電車が先にホームに着き、五郎は夕凪に笑顔を送って電車に乗った。

第3話:クリスマスイブの約束

もうすぐ五郎の誕生日が近付いている。五郎の誕生日はクリスマスと近い為、幼少の頃は誕生日は祝って貰えてもクリスマスは何もなかった。サンタクロースからのプレゼントを期待して、クリスマスツリーに自分の靴下をかけてみるが、一度もサンタクロースのプレゼントが入っている事がない。そんな苦い過去を五郎は持つ。

(去年に続いて、今年も彼女なしでクリスマスを過ごすのか……)そう思うと余計に寂しさを感じる。そこで気に入った女性の存在があるとないでは少し話が変わってくる。
(メグと付き合う方向で、ここらで告白するか……)
まだ五郎は振られた傷が癒えていない。その上、夕凪との友達関係が始まって期間が短い。五郎は自分に決断を迫った。

(よし! 自分の誕生日、メグに告白しよう)

五郎の考えでは、今、傷が癒えるのを待っても時間の無駄だと判断した。そんな結論を自分に下して、自分の誕生日に告白をする事を五郎は決断した。
一度決断すると五郎の行動は早い。早速、五郎は夕凪に電話を掛けた。

「こんばんは五郎です!」と明るく五郎は挨拶する。
五郎と夕凪には電話を掛ける前の暗黙のルールがある。電話を掛ける前にメールをする。その暗黙のルールを破って五郎は電話した。
夕凪も五郎から事前のメールがなかった為、「あ! こんばんは」と電話に驚いていた。
「メグ、少しだけ俺の話を聞いてくれるかな?」
少し戸惑いながら、「いいよ」夕凪は答える。夕凪は突然の電話で五郎の用件が気になって仕方ない。
「二十三日、俺の誕生日なんだけど。その日、俺と一緒に神戸ルミナリエに行かない?」と五郎は言った。
夕凪はストレートな意見の五郎の話が嫌いではない。「うん、いいよ」と即座に返事した。

五郎の誕生日が近付くに連れて、五郎の中でも少しはプレッシャーを感じている。そんな気持ちを抱える中、瑞樹から連絡が入った。
瑞樹 由果(みずきゆか)、二十七歳。謙虚な姿勢で努力を続けて苦手な事を前向きに克服できる女性。五郎とはバンドやサークルで一緒に活動している為、五郎にとっては最も信頼できる仲間の1人だ。
「畑田さん、二十三日って、予定空いていますか?」普段より謙虚な口調で話す瑞樹。
二十三日は五郎の誕生日。その日は夕凪と一緒に神戸のルミナリエに行く予定が入っていた。
「ごめん。その日は少し用事が入っているんだ」と残念そうな声で五郎は答える。
「え……。そうなんですか……。じゃあ次の日は?」すかさず次の提案を瑞樹は持ち出した。
次の日は夕凪に告白して結果が出ている日。もし付き合う事になったら、五郎は夕凪と一緒に過ごすつもりだ。
「ゆっぴ、実は二十三日に好きな人に告白するつもりなんだ。もし付き合う事が出来たら、その人を連れて行く事になるけどいいかい?」と五郎は言った。
五郎が彼女を連れて紹介してくれる話なら、瑞樹にとって嬉しい話になる。「いいですよ♪」と瑞樹は即答した。
しかし五郎は、「別に俺の誕生日なんて祝う必要もないんだよ」と瑞樹に念を押すような話をする。
それに対して瑞樹は、「え~、畑田さんの祝いをさせてくださいよ~」と五郎にせがむように瑞樹が言った。
五郎は内心、瑞樹の祝ってくれる気持ちが凄く嬉しかった。(ゆっぴ、ありがとう)電話越しに五郎は目を瞑って頭の中で瑞樹に感謝した。
「分かった。二十四日、何時に何処に行けばいい?」と五郎は瑞樹に尋ねた。
「場所と時間を決めておきますので、決まったら連絡します」元気のいい声で瑞樹は答えて電話を切った。

第2話:日常

朝の六時、目覚まし時計が「ピピピピッ!」と小さく鳴り出した。目覚ましの音が耳に届くと、すっとベッドから足を降ろして女性がベッドの布団の中から出てきた。
ベッドから出てきたのは夕凪 恵。最近、五郎が気に入っている女性だ。夕凪は一階に降りてキッチンに立つと、すぐにお湯を沸かして食パンをトースターに入れる。七時迄には朝食と着替えを済ませ、夕凪は出かける迄の時間を新聞を読んで過ごした。

その頃、五郎も目を覚まさないと、余裕を持って出かける準備が出来ないのだが、最近の五郎は朝が非常に弱い。出かける寸前迄、目覚ましが鳴らないようにセットされている。
五郎が起きる七時二十分、夕凪は仕事に出掛けていた。ようやく五郎の家でも目覚まし時計が「ガガガガッ!」と凄い音を立てて鳴り出した。五郎の持つ目覚まし時計は、メーカーが世界一と提唱するだけあって半端な音ではない。一度、鳴り出すと五郎の家の外迄、その音は鳴り響いている。その目覚まし時計の音を聞いて、五郎は毎日心臓が飛び出るような朝を迎えていた。
「うわーっ! 起きないと!」
掛け布団が五郎の足で蹴られ、五郎の右手は目覚まし時計の音を止める為、手の平で目覚まし時計のボタンを何度も叩いた。目覚ましの音が止まると五郎はキッチンに行き、前の日の仕事帰りの途中コンビニで買っておいたパンを食べて、急いで着替えて出かけた。

五郎が新大阪の現場に着く頃には、夕凪は既に仕事が始まり忙しい時間帯を送っている。今日も病院内では三人、出産予定を迎える妊婦が居る。その内の一人が分娩室に入り、夕凪も急いで分娩室に入った。
分娩室では出産の痛みで凄い悲鳴が聞こえる場合もある。その痛みを少しでも和らげる為、夕凪達は一生懸命、出産する女性に呼吸の合図を送っていた。
「もう少しですよー! はい、息を吸ってー!」
そんな夕凪の指示が素直に聞ける訳でもない。妊婦は「ひいー! 痛いー!」と叫んだ。
そんな状況は日常茶飯事で、夕凪も焦る事なく、「お母さん、もう少しですよー! もう赤ちゃんの頭が見えてきてますからねー!」と大きな声で冷静に言う。

夕凪の後方には、自分の子供が産まれるのをまだかまだかと待つ夫の姿がある。しかし出産する妻の様子に、夫の方が腰が引いている。
そんな夫の姿を見て夕凪は、(もう、この旦那は何て情けない男なんだ! しっかりしなさい!!)と心の中で怒っていた。
実際、出産に立ち会った事のある男性であれば理解できるかもしれないが、妻の姿に驚く人も少なくない。それだけ出産時の苦しみは、男性の想像を超えている。
夕凪の性格上、その手の男性が苦手で、そう言う弱気な男性を見ると、男性の顔を平手で叩きたい気持ちを持つ。

数時間に渡って痛みに耐えて、ようやく赤ちゃんがお母さんの中から出てきた。赤ちゃんが滑るように出てくると、その赤ちゃんを布で受け止め赤ちゃんを綺麗な布で拭く。
赤ちゃんがお母さんのお腹から出ると胎盤も同時に出てくるが、胎盤を素早く処理している。赤ちゃんを拭き始めると赤ちゃんは大きな声で泣き始めた。
赤ちゃんに付いた血を拭くと、今度はお父さんに赤ちゃんを見せる。
「おめでとうございます。元気なお子さんが産まれましたよ♪」と夕凪は先程迄、苛立ちを感じた男性に笑顔で赤ちゃんを抱かせた。
初めての子供なのであろう。男性は自分の子供を恐る恐る抱き寄せた。抱いてから自分の子供の実感が沸いたのか、男性は不安な顔から笑顔に変った。
男性は赤ちゃんを抱いたまま、自分の妻の傍に近寄って、二人で赤ちゃんの顔を見て微笑んでいる。夫婦にとって新しい家族の誕生だ。

幸せな表情で自分達の子供を見て喜ぶ夫婦を見る。夕凪は、この仕事で一番嬉しい事は、幸せそうな家族の風景を見る事だった。

お母さんを病室に移動させると今度は分娩室の後片付けに入る。その段階に入ると夕凪は、自分の後輩に指示を出して片づけを任せる。夕凪は、次の出産を控える人を分娩室に入れる準備をした。優秀な助産師は、休む暇もなく次の仕事に取り掛からないといけない。

夕刻が近付いた頃、ようやく夕凪も一段落してナースステーションに戻った。
「夕凪さん、今日、一杯飲みに行きませんか?」と後輩の荒川が夕凪を誘った。
「いいわね~。それで今日は誰が行くの?」と夕凪は飲みに行く面子を気にした。
荒川は夕凪が気に掛かっている事を読んでいて「高橋さん」と答えた。同年代の高橋が居るのが分かると、夕凪も快く荒川の誘いを受けた。

その頃、五郎は背中で椅子の背もたれ倒しながら、だらしない格好で仕事をしている。五郎の方は夕凪の仕事とは違い、幾ら急いだ所で作業の進捗を進めるのに限度がある。しかし五郎を中心に作業が進められている為、五郎も手を休ませる訳にもいかない。周りに座る若い人達の作業を確認しながら、自分の作業を進めていた。
五郎の隣に一つ年上の高嶋と言う男性が座っている。五郎は高嶋の人間性が好きで、タバコを吸う時には必ず高嶋を誘っていた。
「高嶋さん、そろそろタバコに行こうか?」と年上の高嶋に五郎は年下に声をかけるように話しかける。
高嶋は五郎と違ってマナーを気にする方だ。周りを見てタバコを吸いに行っても問題ないか周りの様子を確認する。
そんな様子に五郎は毎回呆れているが、「行くぞ、高嶋さん!」と五郎は高嶋を催促した。
「あ……、そうだね、行こうか……」と高嶋はおっとりした返事をする。
五郎は部屋から出る時、手持ちのお菓子を持って行って喫煙室でお菓子を広げた。そこで二人は他愛もない会話を楽しみながらタバコを吸い始めた。

夕凪は荒川の誘いで新大阪の五郎の現場の近くで飲んでいる。店は西部劇の映画に出てくるような店を模造している。中には映画のポスターやカウボーイハットが所々飾られていて、ビールが良く似合う。
その二階の丸テーブルに夕凪達はテーブルを囲うように座っていた。
「めぐみー、今度さ、Dr.と飲みに行くけど行かない?」と同じ年代の高橋が酔いながら言った。
「私、Dr.は止めとくわ。あまり好みじゃない」夕凪は高橋の誘いをあっさりと断わった。
夕凪はプライドの高い人だが、付き合う男性に社会的地位を求める方ではない。夕凪が人情深い面がある為、同じように男性も人情深い男性を好んだ。
高橋の医者と飲みに行く話に後輩の荒川が興味を示した。「高橋さん、私じゃ駄目ですか~?」と聞いてきた。しかし高橋も二十代前半の女性を連れて行って、いい男性を取られたくない。そこは、「荒川、お前は外で見つけな!」と一蹴した。「何だ、つまんないの~」と荒川は少し拗ねた態度を取った。

夜の8時を超えた辺りで夕凪は五郎と話がしたくなっていた。「ちょっとごめん、少しメールさせて」と夕凪は周りを見渡しながら言った。
それを聞いて高橋は少し意地悪な笑顔で、「何~、どこの男~?」と夕凪をからかった。
男の話が出て夕凪の隣に座っている芳川が、夕凪の携帯の画面を覗き込んだ。「いや~、本当だ~。夕凪さん男にメールしてるよ~」と荒川は飛び上がる勢いで驚いた。

 こんばんは恵です。

 もう家に帰られましたか?

 私は、今、同僚と飲んでいる所です。

 家に帰ったら電話で話しませんか?

ここに居る女性で夕凪以外は皆、彼氏募集の者ばかり。
高橋は「ちょっと~、あんた、私にもその人の友達紹介してって言ってよ」と目を吊り上げて夕凪に言った。
(もう~、馬鹿女共め~)と夕凪は思い、夕凪は芳川の足を思いっきり蹴った。
夕凪に蹴られた芳川は、悲鳴を上げたが、それは誰も咎めない。
また男性の話題が出ると、この女性集団は大いに盛り上がりだした。

五郎は高嶋と一緒に仕事を続けている。若い連中は七時になると全員帰ってしまい、作業を二人で行なっていた。
そこに机の上の五郎の携帯に、メールが受信された事を知らせるランプが光った。「おっ、誰からだ」メールの相手を期待しながら五郎は携帯を開いた。夕凪のメールを読んで、突然、五郎は帰る準備に入った。
「高嶋さん! 今日は仕事は終わりだ! 帰るぞ!」と言い出した。
突然の五郎の話に高嶋は驚いたが、一人で残っても作業は進まない。高嶋も五郎と一緒に帰り支度をした。

五郎が家に帰ると時刻は既に十時を回っている。
(どうしようか・・・、もうメグはベッドの中に入っているかもしれないな?)と五郎は時計を見ながら思った。
朝の早い夕凪は、この時間帯になるとベッドの中に入ってテレビを見ている可能性が高い。しかし五郎は夕凪と話したい欲求に負けて、迷惑を掛ける事を承知で夕凪に電話をした。
電話の向こうから、「はい・・・夕凪です・・・」と聞こえたが、夕凪の声はお酒で酔っている事が分かる。
五郎は困惑したが「五郎です。今、話しても大丈夫?」と声を掛けてみた。
その声に夕凪は反応して「おい!五郎!どこに行っていた、私をさしおいて、どこかの女と遊びに行ってただろ!!」と電話越しに叫んだ。
(駄目だ・・・完全に酔っている・・・)と五郎は話す事を諦めた。「メグ、また明日にでも掛け直すよ」と五郎は電話を切ろうとした。
「待て!コラ!五郎!勝手に切るな!」と夕凪は電話を切らさないように必死で話しかけた。
結局、五郎は酔った夕凪の愚痴を2時間聞き続ける事になった。

第1話:癒しの時

十二月が近付き、街はクリスマスを彩る綺麗なイルミネーションを灯す。そのイルミネーションを見る為、恋人同士で歩く情景が至る所で見られた。そんな幸せな情景とは別で、仕事を終えて家に帰る人の姿もあれば、これから仕事の打ち合わせに急いで行く人の姿も見える。人は個々の事情を抱えて、その気持ちは様々だ。

大阪の淀屋橋、丁度、御堂筋が通過して、そこにも綺麗なイルミネーションが灯されていた。
時刻は二十一時、そろそろ人通りも減り、恋人と一緒に食事を済ませた人達が歩いていた。その恋人達の姿を見れば、見る側も暖かい気持ちを持たされる。そんな幸せそうな人たちに紛れて、イルミネーションを見て微笑みながら歩いている男性が居た。
畑田 五郎、三十一歳。五郎は新大阪で働いた後の仕事帰り。梅田から地下鉄御堂筋線を降りて、御堂筋を歩いて難波に向かう途中。恋人同士で歩く人が多い中、傍から見れば何処となく不気味な感じもするが、その男性はイルミネーションを見て何かを思い出していた。
二年前、五郎が淀屋橋で働いていた頃、淀屋橋のビジネス街を彩るイルミネーションを初めて見ている。五郎は、その時からこの場所に凄く惹かれている。師走に入ると五郎は淀屋橋に一度は訪れる。

数ヶ月前、五郎には新しい女性との出会いがあった。夕凪 恵、三十二歳。五郎と同じ年の生まれ。五郎と同じお酒好きでストレートな意見を返してくれるので五郎は夕凪を気に入っていた。その夕凪と一緒にクリスマスを過ごせるようにするか五郎は迷っていた。
しかし、今から三ヶ月前に五郎は失恋している。心の奥底を覗けば夕凪が好きだと言える段階でもない。

淀屋橋から二十分程歩くいた五郎は難波に着き、駅周辺で夕食を済ませる為、店を探しながら歩いた。大抵の場合、五郎が選ぶ食べ物は、うどん、カツ丼、カレー、ラーメン等のカロリー過多の物。
丁度、五郎の右手前方に小さな木目調のラーメン屋が目に入った。暖かいとんこつのスープを頭に想像し、看板に小さく書かれる名古屋コーチンと言う単語から、肉質の柔らかい鶏肉を食べる感触に襲われ、五郎は迷わずラーメン屋に向って行った。
店の中に入ると、歳が二十前後と思われるアルバイトの女の子が明るい声で五郎を迎えた。
「いらっしゃいませ!」
店の入り口では、テーブル席の仕切りで中の様子が分かり辛いが、店の中に入ると和のイメージを持たせるような店の作りになっていた。
木の色が濃い目の茶色で清潔感を感じさせる。女性客が訪れやすいように考えられているのか、周りとの接触もないように仕切りで顔も見えないようになっていた。
五郎は一人客の為、中央にある厨房と対面式のカウンター席に案内された。五郎は席に就くなり店員に注文した。
「ラーメン定食一つ。スープはこってりで! 丼ぶりはチャーシュー丼でお願いします」と店中に聞こえる程の大きな声を発した。
注文を終えて、再びメニューを開き、今頼んだラーメンを見て頷く五郎。今度はメニューを閉じて鞄の中から携帯を取り出す。そしてメールを打ち出した。そのメールの送付先は五郎が好意を持つ夕凪。

 こんばんは、五郎です。

 メグは今、何をしてますか?

 こちらはラーメン屋に入って、これから夜ご飯を食べます。

と簡単なメールの内容で送信ボタンを押した。
夕凪の仕事は助産師の為、緊急時以外は、同じ時間帯に家にいる。五郎も夕凪が家に帰っている時間を予想してメールを送っていた。五郎の予想した通り、夕凪の返信は、注文したラーメンが来る前に五郎に届いた。

 お風呂から上がって、のんびりテレビを見てます♪

 五郎さんの夜ご飯はラーメンですか。

 その話を聞いて、私もラーメンを食べたくなりました。

 でもラーメンは太るので私は我慢します♪

夕凪のメールを見て、五郎は少しだけ笑顔に変っていた。その夕凪とのメールのやり取りが、五郎にとって癒される時だった。