2008年6月20日金曜日

第15話:不安な一日

俺の働く店は、若いマスターの店だ。

残念ながら前の店のマスターのように美味い酒は造れない。

だからと言って見習いの俺に酒を造らす程、甘くもなかった。

それが今日は珍しい珍客が来たのだと言うので、

いきなりマスターは俺に酒造りを任せた。


「おい! 亮、俺にハーバー持って来い」

1番奥の席ではローブを纏っている女性客が1名居た。

その前でマスターが酒を飲みながら、ローブを纏う女性に占って貰っていた。

亮の言う珍客とは占い師の事だ。

亮は店に出てきてマスターにグラスを手渡した。

「おい! 亮! お前も占って貰え!」

「えっ、俺はいいっすよ」

「いいから占って貰えって! この先生わな、日本でも有数の占い師でな、

予約せんと滅多な事で占って貰えないんだぞ」

「いや、俺は占いは遠慮しておきます」

「お前、俺の命令に逆らうのか!」

(参ったな、このマスターだけは酒が入ると横暴になるんだよ)

「はいはい、分かりましたよ。占って貰ったらいいんでしょ」

ローブを纏う女性が亮の方を見て微笑んだ。

「あなた以前も同じようなお店で働いていたでしょ?」

突然、占いが始まりマスターは酔いながらも真剣な表情に変わるが、

その反対に亮は呆れた顔で立っていた。

(そんなもん適当に言ったって当たるだろ・・・)

「店のマスターが居たと思うけど、その人に不義理を働かなかった?」

その言葉に亮は反応して、目付きが鋭くなった。

「りょう~、これは占いなんだ。先生の言う事にいちいち腹を立てたらアカンぞ~」

亮を落ち着かそうとマスターは言ったが、既に亮はマスターが居る事すら忘れる程、

占い師の言葉に驚いている。

「図星ですね。これ以上、何か言われて困る事があるのでしたら、1度、私の店に来てください」

占い師は亮に微笑んだ。

(占いって、所詮適当なんだろ!)

そう思って占いを否定したが、働いている間、亮は占い師が気になっていた。


その頃、霧子の家では向井からの電話が入っていた。

「俺は、絶対に、納得行かないからな・・・」

「私は、あなたにほったらかしにされたのよ! それを今更何を言ってるの!」

「俺は、お前と、結婚する為に頑張ってきたんだ・・・」

「そんな話、1度だってされた事もないわ!」

話が噛み合わず、霧子は少し怒りが込み上げたのか、自分から電話を切ってしまった。

電話の前で呆然としている霧子の脳裏には、向井への恐怖心が湧き出ていた。

(恐い、何か恐い・・・)

霧子には今の向井のする事が理解できない。

(もし、この場所に、あの人が来たら、どうしよう?)


次の日、霧子は朝から目眩を起こして仕事を休んだ。

亮に心配させない為、仕事を休んだ事は黙っているが、

向井からの電話が掛かってくる事に不安も感じていた。

玄関横の6畳程の部屋に入り、霧子はクローゼットから毛布を出そうとしていると電話が鳴り始めた。

『プルルルルッ! プルルルルッ! プルルルルッ!』

慌てて電話を取りにリビングに入ると電話の音は止んだ。

液晶ディスプレイを見ると、相手の番号は『非通知』と表示されている。

(誰なの? やっぱりあの人なの?)

相手が分からないと霧子は更に不安が頭を過ぎる。

毛布を取りに玄関横の部屋に歩いていると、再び電話が鳴り始めた。

『プルルルルッ! プルルルルッ! プルルルルッ!』

(本当なら今頃、私は仕事をしている筈、それなのに誰の電話なの?)

霧子がリビングの方に振り返ると、電話の音が鳴らなくなった。

霧子は耳を塞ぎ電話が鳴る事を恐れ始めた。

「いやだ、もう、いやだ。もう、やめて欲しい。お願いやめて」

慌てて玄関横の部屋に入り、毛布を力一杯クローゼットから引っ張り出した。

そして、そのまま寝室へ走って行こうとした時、廊下に面する窓に男性の影が見えた。

それを見て霧子は意識を失った。


亮は仕事が終わり家に帰ると何件もの留守番電話が入っていた。

(誰なんだ?)

電子音で「ピーッ」と鳴り、次々と用件が再生された。

「霧子です。亮、家に帰ったらすぐに電話頂戴」

「霧子です。亮、まだ家に帰らないの? 帰ったら電話頂戴」

「霧子です。亮、もう家に着くかな? 早く家に帰って・・・」

「霧子です。亮、早く電話頂戴、お願いだから電話頂戴・・・」

永遠と流れる留守番電話の用件に亮は呆れていた。

(どうなっているんだ? 霧子の奴、大丈夫なのか?)

携帯を見ると誰からの電話も入っていない。

霧子は仕事の邪魔にならないよう、亮に気遣って携帯は避けていた。

冷蔵庫から缶ビールを取り出して、それを開けると亮は霧子に電話を掛けようとした。

『ファラファンファンファン♪ ファラファンファンファン♪』

突然、亮の持つ電話が鳴り始めた。

「はい、香川です」

「亮! 亮なの! 帰ってきたの?」

「おいおい、俺に電話しておいて、人の名前を聞く奴がいるか?」

と亮は失笑しながら霧子に言った。

「亮、助けて・・・。今日、私・・・目眩がして倒れたの・・・」

その話に亮は真剣な表情に変わった。

「何故、携帯に電話しないんだ。帰りに霧子の家に寄れただろ」

「ごめん、そんな事で心配かけたくなかったから」

相手を気遣う様子から亮も霧子を責める事もできない。

「不安な一日を過ごしてるのは留守番電話で伝わったよ。明日、仕事帰りに霧子の家に寄るよ」

少しでも不安を感じさせない為にも、ゆっくりと優しく言った。

「ありがとう・・・」

電話の向こう側では、霧子の鼻声が聞こえる。

霧子が不安な一日を過ごし、辛い思いをしていたのだと亮は思った。

「霧子、俺が居るから大丈夫だ。だから今日は安心して寝るんだよ」

「うん、分かった」


俺の中で霧子に対する愛情が同情に変わっている気がしていた。

もちろん、幾ら差し引いても他の女性に比べれば、霧子は女性としての魅力はある。

だから俺は、これからも霧子を奪われないようにと考えていた。

まだ、この段階では・・・。

0 件のコメント: