俺の働く店は、若いマスターの店だ。
残念ながら前の店のマスターのように美味い酒は造れない。
だからと言って見習いの俺に酒を造らす程、甘くもなかった。
それが今日は珍しい珍客が来たのだと言うので、
いきなりマスターは俺に酒造りを任せた。
「おい! 亮、俺にハーバー持って来い」
1番奥の席ではローブを纏っている女性客が1名居た。
その前でマスターが酒を飲みながら、ローブを纏う女性に占って貰っていた。
亮の言う珍客とは占い師の事だ。
亮は店に出てきてマスターにグラスを手渡した。
「おい! 亮! お前も占って貰え!」
「えっ、俺はいいっすよ」
「いいから占って貰えって! この先生わな、日本でも有数の占い師でな、
予約せんと滅多な事で占って貰えないんだぞ」
「いや、俺は占いは遠慮しておきます」
「お前、俺の命令に逆らうのか!」
(参ったな、このマスターだけは酒が入ると横暴になるんだよ)
「はいはい、分かりましたよ。占って貰ったらいいんでしょ」
ローブを纏う女性が亮の方を見て微笑んだ。
「あなた以前も同じようなお店で働いていたでしょ?」
突然、占いが始まりマスターは酔いながらも真剣な表情に変わるが、
その反対に亮は呆れた顔で立っていた。
(そんなもん適当に言ったって当たるだろ・・・)
「店のマスターが居たと思うけど、その人に不義理を働かなかった?」
その言葉に亮は反応して、目付きが鋭くなった。
「りょう~、これは占いなんだ。先生の言う事にいちいち腹を立てたらアカンぞ~」
亮を落ち着かそうとマスターは言ったが、既に亮はマスターが居る事すら忘れる程、
占い師の言葉に驚いている。
「図星ですね。これ以上、何か言われて困る事があるのでしたら、1度、私の店に来てください」
占い師は亮に微笑んだ。
(占いって、所詮適当なんだろ!)
そう思って占いを否定したが、働いている間、亮は占い師が気になっていた。
その頃、霧子の家では向井からの電話が入っていた。
「俺は、絶対に、納得行かないからな・・・」
「私は、あなたにほったらかしにされたのよ! それを今更何を言ってるの!」
「俺は、お前と、結婚する為に頑張ってきたんだ・・・」
「そんな話、1度だってされた事もないわ!」
話が噛み合わず、霧子は少し怒りが込み上げたのか、自分から電話を切ってしまった。
電話の前で呆然としている霧子の脳裏には、向井への恐怖心が湧き出ていた。
(恐い、何か恐い・・・)
霧子には今の向井のする事が理解できない。
(もし、この場所に、あの人が来たら、どうしよう?)
次の日、霧子は朝から目眩を起こして仕事を休んだ。
亮に心配させない為、仕事を休んだ事は黙っているが、
向井からの電話が掛かってくる事に不安も感じていた。
玄関横の6畳程の部屋に入り、霧子はクローゼットから毛布を出そうとしていると電話が鳴り始めた。
『プルルルルッ! プルルルルッ! プルルルルッ!』
慌てて電話を取りにリビングに入ると電話の音は止んだ。
液晶ディスプレイを見ると、相手の番号は『非通知』と表示されている。
(誰なの? やっぱりあの人なの?)
相手が分からないと霧子は更に不安が頭を過ぎる。
毛布を取りに玄関横の部屋に歩いていると、再び電話が鳴り始めた。
『プルルルルッ! プルルルルッ! プルルルルッ!』
(本当なら今頃、私は仕事をしている筈、それなのに誰の電話なの?)
霧子がリビングの方に振り返ると、電話の音が鳴らなくなった。
霧子は耳を塞ぎ電話が鳴る事を恐れ始めた。
「いやだ、もう、いやだ。もう、やめて欲しい。お願いやめて」
慌てて玄関横の部屋に入り、毛布を力一杯クローゼットから引っ張り出した。
そして、そのまま寝室へ走って行こうとした時、廊下に面する窓に男性の影が見えた。
それを見て霧子は意識を失った。
亮は仕事が終わり家に帰ると何件もの留守番電話が入っていた。
(誰なんだ?)
電子音で「ピーッ」と鳴り、次々と用件が再生された。
「霧子です。亮、家に帰ったらすぐに電話頂戴」
「霧子です。亮、まだ家に帰らないの? 帰ったら電話頂戴」
「霧子です。亮、もう家に着くかな? 早く家に帰って・・・」
「霧子です。亮、早く電話頂戴、お願いだから電話頂戴・・・」
永遠と流れる留守番電話の用件に亮は呆れていた。
(どうなっているんだ? 霧子の奴、大丈夫なのか?)
携帯を見ると誰からの電話も入っていない。
霧子は仕事の邪魔にならないよう、亮に気遣って携帯は避けていた。
冷蔵庫から缶ビールを取り出して、それを開けると亮は霧子に電話を掛けようとした。
『ファラファンファンファン♪ ファラファンファンファン♪』
突然、亮の持つ電話が鳴り始めた。
「はい、香川です」
「亮! 亮なの! 帰ってきたの?」
「おいおい、俺に電話しておいて、人の名前を聞く奴がいるか?」
と亮は失笑しながら霧子に言った。
「亮、助けて・・・。今日、私・・・目眩がして倒れたの・・・」
その話に亮は真剣な表情に変わった。
「何故、携帯に電話しないんだ。帰りに霧子の家に寄れただろ」
「ごめん、そんな事で心配かけたくなかったから」
相手を気遣う様子から亮も霧子を責める事もできない。
「不安な一日を過ごしてるのは留守番電話で伝わったよ。明日、仕事帰りに霧子の家に寄るよ」
少しでも不安を感じさせない為にも、ゆっくりと優しく言った。
「ありがとう・・・」
電話の向こう側では、霧子の鼻声が聞こえる。
霧子が不安な一日を過ごし、辛い思いをしていたのだと亮は思った。
「霧子、俺が居るから大丈夫だ。だから今日は安心して寝るんだよ」
「うん、分かった」
俺の中で霧子に対する愛情が同情に変わっている気がしていた。
もちろん、幾ら差し引いても他の女性に比べれば、霧子は女性としての魅力はある。
だから俺は、これからも霧子を奪われないようにと考えていた。
まだ、この段階では・・・。
2008年6月20日金曜日
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