大阪駅の地下街のオープンテラスのカフェの前、亮は霧子が来るのを待っていた。
2人の待ち合わせは、夜の8時。
地下街は人通りが多く、少し離れた場所に視線を移すと、
人混みで霧子が来るのを確認する事すらできない。
亮は予め用意しておいた雑誌を読み始めるが、雑誌の内容に集中できなかった。
そんな中、スーツの女性が亮の前に現れた。
「ごめん、待った?」
亮が顔を上げると、息を切らせた霧子が立っていた。
「随分、待たされたかな」そう言って亮は微笑んだ。
「店は私が予約しておいたから、地上に上がろう」
「OK」
2人は地下から地上に上がった。
大阪の梅田にあるお初天神通りに入り、その途中にある大きな洋風の扉の店に入った。
霧子が扉を開くと、中で待機していた店員が頭を下げる。
「いらっしゃいませ」
「8時半に予約した奥田です」
「2名で予約の奥田様ですね。テーブルをご用意しております。こちらへどうぞ」
照明が少し暗く、各テーブルの上にはランプが置かれている。
料理など暗くて良く見えないが、どちらかと言うと居酒屋とバーの中間に位置する店の雰囲気だ。
シンプルな料理が多く、あまり手の込んだ料理は見当たらない。
お肉やチーズ、それにワインを主に扱う店だと亮は判断した。
店員に案内されて席に就くと、既に霧子はメニューを開き店員に注文をしていた。
「じゃあ、ワインはこのボトルで、料理の方は、このコースでお願い」
「すぐに、ご用意させて頂きます」
店員がテーブルから離れた後、亮は店の中を見渡した。
「この店に慣れてるね」
「仕事終わりに友達と飲みに来る所なんだけど、凝った料理はないけど飲むには丁度いいと思うの」
「しかし驚いたな。酒の弱い君が、こんな店を知ってるなんて」そう言って亮は笑った。
店の雰囲気を観察した後、亮は視線を霧子に移した。
「一応、これでもワイン好きなんですよ!」霧子は少し拗ねて見せた。
その様子を見て亮は笑った。
1時間程経ち、霧子はかなり酔っていた。
亮は冷静に飲みながら、そうなる事を待っていた。
それ迄は明るい話題に触れながら霧子の笑いを誘っていたのだが、
そこから亮の狙いの話題に入る。
「悪いね。こんな形で大阪を去るのは辛いけど、いい思い出にはなるよ」
「そう・・・、この位なら、いつだって出来るわよ」
そう言って霧子は手に持っているグラスのワインを飲み干した。
「君は酒に弱いんだから、そのぐらいにしておいた方が良くないかな」
亮は霧子を子供に話すような口調で諭した。
その口調に反応した霧子は、「何、それ・・・。今日はあなたの送別会なのよ!」と切り替えした。
「そこまで言うなら、もう1本ぐらい飲んでも大丈夫かな?」
挑戦的な言葉を亮は口にして、霧子にお酒を飲ませようとする。
「大阪は楽しかったよ。特に君と出会えた事は、俺にとって最高の思い出だよ」
「そう・・・、そんなのどうだっていいじゃない・・・」
霧子は亮の思惑通り、アルコールが回り思考能力が落ちている。
「実は、今日は飲み明かそうと思って、ホテル予約してあるんだけど、後で行くかい?」
「いいわよ・・・。ホテルでも何処でも行って飲みましょう・・・」
「そうさせて貰いますよ。お姫様」
「私は姫様ではない! 霧子と言う名前があるのよ!!」
「はいはい、霧子様」
「様は要らない、霧子でいいの!!」
亮に乗せられた霧子は、酔って上機嫌になっていった。
(これで俺の手中に落ちたな)
2時間経ち、亮は霧子を連れて梅田の街を歩いた。
しかし霧子の足は上手く前に出せなくなっている。
そこは亮が霧子の肩を抱き、ゆっくりと歩く方向へと導いた。
「俺はね、この都会の街に憧れて大阪にでてきたんだよ」
「・・・」
霧子は亮の話を聞いても、まともな返答ができない程酔っている。
「本当なら、この街に自分の店を持つ事が夢だったんだけど、いつの間にか、その夢は潰れていたよ」
「えっ・・・、誰に潰されたの!!」
「君だよ。君が現れて、俺は自分の夢が潰れても君と一緒に居たくなってしまったよ」
「えっ・・・、じゃあ一緒に居たらいいじゃない!」
「じゃあ、そうさせて貰うよ」
亮は大阪駅の方に向って、ゆっくり歩き始めた。
酔っている時、歩くと酔いが余計に回る。
どんどん霧子は酔いが回り、いつの間にか亮に肩を支えられながら眠っていた。
次に霧子が目を開けた場所はホテルの部屋だった。
しかし霧子は酔っている。
冷静な判断が働かず、座っていたソファーの上で寝ようとした。
そこに亮がワインを持って現れた。
「あれ? 何処に行ってたの?」
「ワインを用意していたんだよ」
そう言って亮は左手のワイングラスを霧子に見せた。
「2次会」
さすがに霧子も気分が悪いのか、亮の方に手を向けて飲めない事をアピールした。
「お姫様は先程迄、あれだけ飲んでいたのに、ここでは飲めませんか?」
少し呆れ口調で亮が言った。
自分の思考能力が落ちている事に霧子は気付いたが、今更、どうしようも出来ない。
「ごめん・・・、お酒は許して・・・、その他の事なら何でもするから・・・」
亮は霧子の横に座り、ワイングラスを1つ霧子に持たせた。
持たされたワイングラスの中にワインを注がれ、霧子は呆然と見る事しかできない。
「ごめん・・・、もうお酒は飲めない・・・」
「ハハハ、さっきの勢いはどうした」
亮は笑っているが、霧子には亮の顔すら歪んで見える。
「今日は最後迄、付き合って貰うよ」
そう言って亮は自分のワイングラスにもワインを注いだ。
やがて霧子は意識を失い、持っていたグラスを床に落とした。
「眠ってしまったか」
亮はソファーから立ち上がり、霧子の頬にかかる髪を上げ、霧子が寝ている事を確認した。
亮は霧子の鞄を取って鞄を開け始めた。
鞄の中身を慎重に探るが目的の物が見付からず、
今度は霧子の上着のポケットを軽く叩き出した。
手の内側に長方形のプラスチックのような物が当たると、それをポケットから取り出した。
霧子の携帯だ。
そのまま霧子の着信拒否の内容を確認して解除した。
「もう、この人の着信拒否も必要ないな」
着信拒否されていたのは、向井の電話番号だった。
以前、亮が霧子を送った時、向井の電話を着信拒否するように設定していた。
次にメールの簡易転送先の設定画面を開くと、そこには亮のメールアドレスが入っていた。
それも亮の手により削除された。
「これで完了だ」
そう霧子の携帯には、亮が仕掛けた着信拒否の設定で、
向井からの電話は繋がらないように設定してあった。
それだけではない。
霧子の携帯の機能で、受信・送信メールは、全て亮の携帯に送られる。
着信拒否は向井の携帯にも施されている。
以前、向井が亮の店で薬によって眠らされた時、亮は向井の携帯の設定を触っていたのだ。
2人にとって亮の存在は、全く関係のない人だった。
だから何か起きても誰も疑う余地がなかったのだ。
俺は自分の目指す道を捨てて迄、一人の女を手に入れる事に夢中になってしまった。
それも今日で終わり。
霧子さえ手に入れられば、また明日からは自分の目指す道に戻ろう。
また大阪で新しく働ける店を探そう。
次の日、霧子が目を覚ましたのは朝の9時。
「おはよう、霧子、目が覚めたんだね」
霧子は亮に声を掛けられ、慌てて自分の状況を確認した。
布団が掛けられバスローブを着せられていた。
(えっ、まさか・・・)
テーブルの近くには何本ものワインのボトルが倒れている。
(あれだけの量を飲んだの・・・)
「霧子、朝食でも行かないか?」
(いつから、霧子って呼ばれるようになってるの?)
霧子には今の状況が掴めない。
「昨日・・・、酔って寝てしまったの?」
「たくさん飲んだ後、一緒にベッドに入ったよ」
(何で、まだ別れて半年も経ってないのに他の男性と関係を持つなんて・・・)
心の中で霧子は向井に対する気持ちが残っているのか、
何処か向井に申し訳ない気持ちが浮かんでいる。
「もしかして、俺は霧子の気持ちを無視して抱いた?」
この状況で酔って抱き合ったなどと言えない。
「ごめん、私、昨日の事を覚えてないかもしれない」
霧子は右手で額を押さえた。
「昨日、俺が君に告白した時、君も俺の事を好きだと言ってくれたんだ」
自分の言った事すら何も覚えていない霧子は、ずっと頭を抱えていた。
「・・・もしかして、私、あなたと付き合う事になってるの?」
「あぁ、一応だがね。俺が霧子に告白してOKのサインを貰ってるよ」
短絡的な遣り方だったが、誠実な霧子には堪える話だった。
「ごめん、今日は家に帰らして、また連絡するから・・・」
「あぁ・・・。もし俺の事が嫌になっても、昨日、俺が言った事は忘れないでくれ」
(何なの、昨日、言った事って?)
亮は霧子の前でバスローブを脱いで裸になった。
霧子は目を逸らしたかったが、それすらも出来ない。
その状況で亮は平然と自分の服に着替えた。
「ごめん、シャワー浴びてくるね・・・」
霧子は亮に遠慮するようにシャワーを浴びに行った。
2人はホテルをチェックアウトした後、大阪駅の構内に入り地下鉄を目指して歩いた。
地下鉄に乗る時には、亮は霧子の腰に手を回し、霧子を自分の方に寄せている。
そんな状態を霧子は受け入れたくもなかったが、自分の起こした事だと思って我慢していた。
心斎橋駅に着いて、霧子は慌てて電車を降りようとした。
「霧子、俺の気持ちに応えてくれて、本当にありがとう。また今晩にでも電話するよ」
電車の扉が閉まり、亮の乗る電車は南の方角へ走り出した。
2008年5月25日日曜日
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