来月末で働いている店が閉まる。
正直、お酒の作り方など、今の俺にはどうでも良くなっていた。
それより霧子の気持ちを手に入れる方に頭が回っている。
亮は愛車に乗って霧子の住むマンションへ向った。
車をマンションの前に停めて、亮はマンションのエントランスホールに向った。
集合玄関機の前で霧子の部屋の番号を入力して、呼び出しボタンを押した。
「はい!」
霧子の声が聞こえてきて、亮は「香川です」と言うと、「どうぞ」と返事が聞こえた。
『ウィーン。 カチャッ!』と自動で鍵が回る音が聞こえる。
亮は自動扉を通過して奥へと入った。
(ようやく正式な招待を受けて、ここに来る事ができたか)
今迄、霧子が酔って送るのに不便な思いをしてきたが、
今日は中から開けてもらえたので苦労する事がない。
それが亮にとって、少し嬉しく感じた。
霧子の部屋の前に着くと、亮は呼び鈴を鳴らした。
すぐにドアが開き、扉の隙間が出来ると、そこから亮は花を通した。
扉の向こうから「綺麗」と言う霧子の声が聞こえた。
亮は扉を開けて霧子に「こんばんは」と言って顔を見せた。
「少し散らかっているけど、あがって♪」
亮は花を霧子に渡し、靴を脱いでリビングへ入って行った。
14畳程の広さのリビングに対面式のキッチンが見える。
そのキッチンには湯気が舞い上がり、オリーブオイルの匂いがする。
「いい匂いだね」
亮はキッチンから窓の方へ視線を変えた。
(綺麗な夜景だ)
霧子の部屋は12階、その高さから見る夜景はビルの光が一面に広がり、
外の世界が綺麗に見える。
(こうやって霧子の部屋を見ると、俺と違う世界に住む人だと思い知らされるな)
真剣な眼差しで外の光景を見た。
1時間も経てば、既に2人はグラスを片手に会話を楽しんでいた。
「そのお客さんは、結局、家に帰れず駅員さんに起こされたんだよ」
霧子は亮の話を聞いて笑っていた。
「それで仕方なく、そのお客さん、うちの店に戻ってきて、朝までマスターに付き合って貰ったんだよ」
亮は身振り手振りで、話を面白可笑しく表現した。
その亮の様子に霧子は惹かれるものを感じていた。
霧子のグラスにワインが入っていないのを確認すると、
亮は自然にワインを霧子のグラスに注いでいた。
楽しい時間が刻々と流れる中、2人は終始笑顔を絶やさない。
時計の針が10時を示し「いけない。 明日も仕事だね」と亮が言った。
普通に2人が出会っていれば、どれだけ良かったのか? と亮は頭の中で思っていた。
(こんな素晴らしい女性を俺は人から奪おうとしたんだな・・・)
亮に大きな罪悪感が走り、後悔の念が頭の中を巡ろうとした。
突然、亮はテーブルに肘を付き下に俯いた。
「どうしたの?」と亮の様子に霧子は少し驚いた。
「いや、何もないよ。 少しだけ考え事があってね・・・」
亮の様子に霧子はどう対応すれば分からない。
「よかったら話して?」
亮はゆっくり顔を上げて「来月末、うちの店、閉めるんだよ」と静かに言った。
「えっ?」
霧子は亮の話が聞き取り難く、一瞬、自分が聞いた話が嘘のように思えた。
「こんな話、言っても仕方ないけどね。 あの一件でマスターは店を閉めると言い出したんだ」
あの一件とは、向井の件だと霧子にも想像がついた。
「でも、あれは、あの人のせいであって、マスターが責任を感じる必要もないでしょ」
霧子は亮に諭すように話した。
「そうも行かないんだ。 あの写真はうちの店で撮影されてるからね」
「ごめん、マスターが店を閉めるのは私のせいね・・・」
「店を閉めるのはいいんだ・・・」
「え? でも香川さんのお仕事を私が奪ってるのよ」
「それは仕方ないさ」
亮は少し微笑みながら霧子に言った。
「ごめんなさい・・・」
霧子は亮に頭を下げた。
「は~、白けるな~。 こんな美人と食事できるなら、仕事を失っても我慢もできるよ」
「でも・・・」
霧子の中で罪悪感が大きくなっていくのを亮は期待した。
(もう少しだ。 もう少し悪いと思う気持ちが大きくなったら、俺の思惑通りなんだ!)
「まあ、バーテンの夢は捨てて田舎に帰ろうと思ってるんだけど、
最後の思い出に俺とデートして貰えないか?」
その言葉に霧子は迷った。
霧子は亮に対して、特別な感情は持っていない。
しかし、今迄、亮に相談に乗って貰ったりと世話にもなっている。
デートして亮の気分が紛れるなら、1日ぐらい付き合おうと霧子は思った。
「うん、いいわよ」
「じゃあ約束だぞ」
亮は少し微笑んでグラスに残っているワインを一気に飲み干した。
そしてグラスをテーブルに置くと帰り支度を始めた。
「今日はごちそうさま、本当に美味しかったよ」
「ごめんなさい、辛い時なのに何もできなくて・・・」
亮は霧子の言葉を気にせず、上着を手に取ってから玄関に向かった。
その後ろを霧子が歩いてきた瞬間。
亮が霧子の方を振り向いた。
「今度のデート楽しみにしてるよ♪」と言って霧子に微笑んだ。
霧子は少し戸惑いながら小さく頷いた。
せっかくのチャンスを逃したが、まだ霧子の中に向かいは居るかもしれない。
そう思うと、何もできずに家に帰る事になってしまった。
少し時間を置いて、俺の困った姿を見れば、霧子は自分の罪悪感から、
今の俺をほっておく事もできなくなるだろう。
2008年5月17日土曜日
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