2008年5月17日土曜日

第11話:罪悪感

来月末で働いている店が閉まる。

正直、お酒の作り方など、今の俺にはどうでも良くなっていた。

それより霧子の気持ちを手に入れる方に頭が回っている。


亮は愛車に乗って霧子の住むマンションへ向った。

車をマンションの前に停めて、亮はマンションのエントランスホールに向った。

集合玄関機の前で霧子の部屋の番号を入力して、呼び出しボタンを押した。

「はい!」

霧子の声が聞こえてきて、亮は「香川です」と言うと、「どうぞ」と返事が聞こえた。

『ウィーン。 カチャッ!』と自動で鍵が回る音が聞こえる。

亮は自動扉を通過して奥へと入った。

(ようやく正式な招待を受けて、ここに来る事ができたか)

今迄、霧子が酔って送るのに不便な思いをしてきたが、

今日は中から開けてもらえたので苦労する事がない。

それが亮にとって、少し嬉しく感じた。


霧子の部屋の前に着くと、亮は呼び鈴を鳴らした。

すぐにドアが開き、扉の隙間が出来ると、そこから亮は花を通した。

扉の向こうから「綺麗」と言う霧子の声が聞こえた。

亮は扉を開けて霧子に「こんばんは」と言って顔を見せた。

「少し散らかっているけど、あがって♪」

亮は花を霧子に渡し、靴を脱いでリビングへ入って行った。

14畳程の広さのリビングに対面式のキッチンが見える。

そのキッチンには湯気が舞い上がり、オリーブオイルの匂いがする。

「いい匂いだね」

亮はキッチンから窓の方へ視線を変えた。

(綺麗な夜景だ)

霧子の部屋は12階、その高さから見る夜景はビルの光が一面に広がり、

外の世界が綺麗に見える。

(こうやって霧子の部屋を見ると、俺と違う世界に住む人だと思い知らされるな)

真剣な眼差しで外の光景を見た。


1時間も経てば、既に2人はグラスを片手に会話を楽しんでいた。

「そのお客さんは、結局、家に帰れず駅員さんに起こされたんだよ」

霧子は亮の話を聞いて笑っていた。

「それで仕方なく、そのお客さん、うちの店に戻ってきて、朝までマスターに付き合って貰ったんだよ」

亮は身振り手振りで、話を面白可笑しく表現した。

その亮の様子に霧子は惹かれるものを感じていた。

霧子のグラスにワインが入っていないのを確認すると、

亮は自然にワインを霧子のグラスに注いでいた。

楽しい時間が刻々と流れる中、2人は終始笑顔を絶やさない。


時計の針が10時を示し「いけない。 明日も仕事だね」と亮が言った。

普通に2人が出会っていれば、どれだけ良かったのか? と亮は頭の中で思っていた。

(こんな素晴らしい女性を俺は人から奪おうとしたんだな・・・)

亮に大きな罪悪感が走り、後悔の念が頭の中を巡ろうとした。

突然、亮はテーブルに肘を付き下に俯いた。

「どうしたの?」と亮の様子に霧子は少し驚いた。

「いや、何もないよ。 少しだけ考え事があってね・・・」

亮の様子に霧子はどう対応すれば分からない。

「よかったら話して?」

亮はゆっくり顔を上げて「来月末、うちの店、閉めるんだよ」と静かに言った。

「えっ?」

霧子は亮の話が聞き取り難く、一瞬、自分が聞いた話が嘘のように思えた。

「こんな話、言っても仕方ないけどね。 あの一件でマスターは店を閉めると言い出したんだ」

あの一件とは、向井の件だと霧子にも想像がついた。

「でも、あれは、あの人のせいであって、マスターが責任を感じる必要もないでしょ」

霧子は亮に諭すように話した。

「そうも行かないんだ。 あの写真はうちの店で撮影されてるからね」

「ごめん、マスターが店を閉めるのは私のせいね・・・」

「店を閉めるのはいいんだ・・・」

「え? でも香川さんのお仕事を私が奪ってるのよ」

「それは仕方ないさ」

亮は少し微笑みながら霧子に言った。

「ごめんなさい・・・」

霧子は亮に頭を下げた。

「は~、白けるな~。 こんな美人と食事できるなら、仕事を失っても我慢もできるよ」

「でも・・・」

霧子の中で罪悪感が大きくなっていくのを亮は期待した。

(もう少しだ。 もう少し悪いと思う気持ちが大きくなったら、俺の思惑通りなんだ!)

「まあ、バーテンの夢は捨てて田舎に帰ろうと思ってるんだけど、

最後の思い出に俺とデートして貰えないか?」

その言葉に霧子は迷った。

霧子は亮に対して、特別な感情は持っていない。

しかし、今迄、亮に相談に乗って貰ったりと世話にもなっている。

デートして亮の気分が紛れるなら、1日ぐらい付き合おうと霧子は思った。

「うん、いいわよ」

「じゃあ約束だぞ」

亮は少し微笑んでグラスに残っているワインを一気に飲み干した。

そしてグラスをテーブルに置くと帰り支度を始めた。

「今日はごちそうさま、本当に美味しかったよ」

「ごめんなさい、辛い時なのに何もできなくて・・・」

亮は霧子の言葉を気にせず、上着を手に取ってから玄関に向かった。

その後ろを霧子が歩いてきた瞬間。

亮が霧子の方を振り向いた。

「今度のデート楽しみにしてるよ♪」と言って霧子に微笑んだ。

霧子は少し戸惑いながら小さく頷いた。


せっかくのチャンスを逃したが、まだ霧子の中に向かいは居るかもしれない。

そう思うと、何もできずに家に帰る事になってしまった。

少し時間を置いて、俺の困った姿を見れば、霧子は自分の罪悪感から、

今の俺をほっておく事もできなくなるだろう。

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