前回の1件で、向井と霧子の関係は終わった。
しかも、あの1件に俺が絡んでいる事は誰も気付いていない。
マスターは自分の店で撮影された写真を見ている筈だが、
俺に何も言ってこなかった。
霧子が向井と別れて3ヶ月が経とうとしている。
亮は2日置きで霧子に電話をして、表向き失恋した霧子の気持ちを気遣う振りをしていた。
既に霧子とは、友人関係迄進展して一緒に出掛ける事もあった。
そして2人は週に1度は飲みに行った。
飲みに行くのは、亮が休みの日。
霧子の仕事が終わり2人は待ち合わせする。
今日は亮の休みの日、待ち合わせの場所で2人が揃うと、
お酒の飲める少し洒落たカフェに向った。
店は基本的に亮のお勧めの場所。
亮は仕事柄、お酒を扱う店には詳しい。
あまり暗い雰囲気の店を選ばず、照明の明るい店を選んでいた。
ボトルワインとコース料理を店員に頼んでから2人は、いつものように話し始める。
「仕事の方、忙しそうだね」
「少し大きな仕事が取れそうなの」
以前に比べ2人の口調は親しくなっていた。
別れてから霧子は向井の事を忘れる為、忙しい仕事ばかり選んでいた。
それが上司に認められ、今迄よりも大きなプロジェクトを担当する事になった。
「じゃあ、今日はお祝いだな♪」
丁度、店員がワゴンを押して来た。
「シャトー・マルゴーでございます」
店員はワゴンの上で、ワインクーラーからワインを取り出した。
乾いた布でワインを一拭きして、オープナーでコルクを抜くと、
「後は俺がやるから下がって貰えるかな」と亮が言った。
店員は乾いた布でワインの口を軽く拭いて、ゆっくりとワインを亮に渡した。
そしてグラスをテーブルの上に置くと「失礼します」と言って、店員は下がった。
亮は霧子のグラスと自分のグラスにワインを注ぎ、
グラスを自分の目の高さに持って行き、グラス越しに霧子を見つめた。
少し微笑んで霧子もグラスを手に持った。
「今度のプロジェクトの成功を願って乾杯」
そう言って亮はグラスを軽く霧子のグラスに当てた。
霧子は笑顔で「頑張るよ」と言った。
「今度、今迄のお礼をしたいんだけど、美味しいものでも食べに行かない?」
亮はグラスをテーブルに置き、「気持ちだけ貰うよ。
まあ奥田さんの手料理なら喜んで受けるけどね」と言った。
霧子は少し考えたが、何度か亮に家に送って貰っている事を考えると、
亮に対して警戒心が解けている。
「あまり料理は上手くないけど、それで喜んでくれるなら、
それでもいいわよ。 今度、私の家に来てもらえる?」
「喜んで」
亮は霧子の方を向きながら微笑んだ。
「再来週の月曜から海外に行くから、来週の週末辺り都合の良い日はある?」
「来週は木曜日が休みだから、その日はどうかな?」
「じゃあ、来週の木曜日ね」
「了解」亮は微笑んだ。
次の日の夜、亮とマスターは客が居なくなってから話しをしていた。
「亮、お前は何故、バーテンダーを目指したんだ?」
「私ですか? 色んな事情を抱えた客に、少しでも元気を与えるお酒を造りたいと思ったからですよ」
「そうか、お前も考えがあって、バーテンダーを目指したんだな」
「マスターも目指すものがあって、バーテンダーになったのですよね?」
マスターは少し苦笑して「いや、ワシはお前のように目的は持ってなかったよ」と言った。
「じゃあマスターこそ、バーテンを目指した理由は何なのですか?」
と亮は不思議な顔をしながら聞いた。
「ワシは、成り行きでバーテンダーになっただけだ」
その話に亮は驚いた。
「でも、バーテンダーを目指したから、立派なバーテンダーになれたのですよね?」
マスターは笑いながら、「ワシは1度もバーテンダーになろうと思ってなかったよ」と言った。
「自分の店を展開して、見習いに店を持たしてオーナーとして成功しているじゃないですか」
「今迄は成功したと思っていたさ。 しかし向井の事があってから、成功したとは思えん」
「言葉悪いのですが、向井さんの件はマスターと無関係ですよ」
あの日、早川が店に戻ってから亮は話を聞いているので、ある程度の状況も知っている。
しかし亮は知らない話になっている為、マスターから何も聞かされてもいない。
「ワシは、あの時、お前が向井の件を潰したと思ってたんだ」
その言葉に亮は焦りが生じた。
(やっぱり、マスターも俺を疑っていたか・・・、まずいな・・・)
一瞬間が空いて、マスターは口を開いた。
「でもな、お前はワシの所に来てから、ひたすらバーテンダーを目指してる。
誰よりも真面目にだ。 そんな奴を疑ったら、ワシも人として考えもんだ」
「あの日、何があったのですか?」
亮は覚悟を決めて話を聞く事にした。
あの日、顔も知らん男に写真が届けられた。
その写真には、この店で向井と知らん女性が抱き合っている姿が写っていたんだ。
向井はジャケットを羽織っていたが、女性の方は下着姿だった。
店の中でするような行為だとは思えんし、これまで向井は、そんな不祥事を1度も起こしていない。
店は亮に任せていたから、当然、お前が居る前で、そんな行為が出来る筈もなかろう。
だから向井に対して、お前が仕掛けた罠だと思ったんだ。
正直、次の日、お前をクビにする事だって考えていた。
しかし、次の日もお前は、働いている間、冷静に仕事をしておった。
普通の奴なら、あれだけの事を起こして普通に仕事はできん。
それが出来る奴は、まず何もしていなかったか、本物の悪人だけだろう。
ワシが知る亮は、まず悪人ではないと思っておる。
だからワシはお前を信じる事にした。
だが、あれだけ嫌な目に遭わしてしまった向井には申し訳なくてな。
あいつも、あれ以来、行方をくらましてしまった。
会社の方に連絡すると、退職届けを出して、今月末には仕事を辞めるらしい。
既に会社に顔を出してもおらんそうだ。
あいつの人生を・・・、ワシが無茶苦茶にしてしまった。
ワシが出来る向井への侘びは、不祥事が起きた、この店を閉める事だ。
その話を聞かされ、亮は天井に顔を向けた。
「本気で店を閉める気ですか?」
「お前には申し訳ないが、これぐらいしかワシは向井に詫びる方法を知らん」
(全く情けない話だ。 あの程度の事で責任負った言い方するなんて・・・)
今の亮は店の事など、どうでも良かったのかもしれない。
霧子の気持ちを自分の方に向けるので頭が一杯だった。
「じゃあ、マスター、俺はいつまで働かせて貰えるのですか?」
「来月末、この店を閉めるつもりだ。
亮の働き先は、以前、この店で見習いをしていた奴に頼もうと考えている」
さすがの亮も店を閉める話は少し辛かった。
(参ったな、いきなり失業か・・・。 今更、新しい場所で働く気にもなれないしな・・・)
「亮、すまん・・・」
マスターは亮の方を向き頭を下げた。
しかし、その話を利用して、更に霧子の気持ちを自分の方に向ける方法を考えついた。
『どうせなら、この話を使って、今度の木曜日に目的を達成しよう』
2008年5月10日土曜日
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