2008年5月10日土曜日

第10話:償い

前回の1件で、向井と霧子の関係は終わった。

しかも、あの1件に俺が絡んでいる事は誰も気付いていない。

マスターは自分の店で撮影された写真を見ている筈だが、

俺に何も言ってこなかった。


霧子が向井と別れて3ヶ月が経とうとしている。

亮は2日置きで霧子に電話をして、表向き失恋した霧子の気持ちを気遣う振りをしていた。

既に霧子とは、友人関係迄進展して一緒に出掛ける事もあった。

そして2人は週に1度は飲みに行った。

飲みに行くのは、亮が休みの日。

霧子の仕事が終わり2人は待ち合わせする。

今日は亮の休みの日、待ち合わせの場所で2人が揃うと、

お酒の飲める少し洒落たカフェに向った。


店は基本的に亮のお勧めの場所。


亮は仕事柄、お酒を扱う店には詳しい。


あまり暗い雰囲気の店を選ばず、照明の明るい店を選んでいた。


ボトルワインとコース料理を店員に頼んでから2人は、いつものように話し始める。


「仕事の方、忙しそうだね」

「少し大きな仕事が取れそうなの」



以前に比べ2人の口調は親しくなっていた。


別れてから霧子は向井の事を忘れる為、忙しい仕事ばかり選んでいた。

それが上司に認められ、今迄よりも大きなプロジェクトを担当する事になった。

「じゃあ、今日はお祝いだな♪」

丁度、店員がワゴンを押して来た。

「シャトー・マルゴーでございます」

店員はワゴンの上で、ワインクーラーからワインを取り出した。

乾いた布でワインを一拭きして、オープナーでコルクを抜くと、

「後は俺がやるから下がって貰えるかな」と亮が言った。

店員は乾いた布でワインの口を軽く拭いて、ゆっくりとワインを亮に渡した。

そしてグラスをテーブルの上に置くと「失礼します」と言って、店員は下がった。

亮は霧子のグラスと自分のグラスにワインを注ぎ、

グラスを自分の目の高さに持って行き、グラス越しに霧子を見つめた。

少し微笑んで霧子もグラスを手に持った。

「今度のプロジェクトの成功を願って乾杯」

そう言って亮はグラスを軽く霧子のグラスに当てた。

霧子は笑顔で「頑張るよ」と言った。

「今度、今迄のお礼をしたいんだけど、美味しいものでも食べに行かない?」

亮はグラスをテーブルに置き、「気持ちだけ貰うよ。

まあ奥田さんの手料理なら喜んで受けるけどね」と言った。

霧子は少し考えたが、何度か亮に家に送って貰っている事を考えると、

亮に対して警戒心が解けている。

「あまり料理は上手くないけど、それで喜んでくれるなら、

それでもいいわよ。 今度、私の家に来てもらえる?」

「喜んで」

亮は霧子の方を向きながら微笑んだ。

「再来週の月曜から海外に行くから、来週の週末辺り都合の良い日はある?」

「来週は木曜日が休みだから、その日はどうかな?」

「じゃあ、来週の木曜日ね」

「了解」亮は微笑んだ。


次の日の夜、亮とマスターは客が居なくなってから話しをしていた。

「亮、お前は何故、バーテンダーを目指したんだ?」

「私ですか? 色んな事情を抱えた客に、少しでも元気を与えるお酒を造りたいと思ったからですよ」


「そうか、お前も考えがあって、バーテンダーを目指したんだな」

「マスターも目指すものがあって、バーテンダーになったのですよね?」

マスターは少し苦笑して「いや、ワシはお前のように目的は持ってなかったよ」と言った。

「じゃあマスターこそ、バーテンを目指した理由は何なのですか?」

と亮は不思議な顔をしながら聞いた。

「ワシは、成り行きでバーテンダーになっただけだ」

その話に亮は驚いた。

「でも、バーテンダーを目指したから、立派なバーテンダーになれたのですよね?」

マスターは笑いながら、「ワシは1度もバーテンダーになろうと思ってなかったよ」と言った。

「自分の店を展開して、見習いに店を持たしてオーナーとして成功しているじゃないですか」

「今迄は成功したと思っていたさ。 しかし向井の事があってから、成功したとは思えん」

「言葉悪いのですが、向井さんの件はマスターと無関係ですよ」

あの日、早川が店に戻ってから亮は話を聞いているので、ある程度の状況も知っている。

しかし亮は知らない話になっている為、マスターから何も聞かされてもいない。

「ワシは、あの時、お前が向井の件を潰したと思ってたんだ」

その言葉に亮は焦りが生じた。

(やっぱり、マスターも俺を疑っていたか・・・、まずいな・・・)

一瞬間が空いて、マスターは口を開いた。

「でもな、お前はワシの所に来てから、ひたすらバーテンダーを目指してる。

誰よりも真面目にだ。 そんな奴を疑ったら、ワシも人として考えもんだ」

「あの日、何があったのですか?」

亮は覚悟を決めて話を聞く事にした。


あの日、顔も知らん男に写真が届けられた。

その写真には、この店で向井と知らん女性が抱き合っている姿が写っていたんだ。

向井はジャケットを羽織っていたが、女性の方は下着姿だった。

店の中でするような行為だとは思えんし、これまで向井は、そんな不祥事を1度も起こしていない。

店は亮に任せていたから、当然、お前が居る前で、そんな行為が出来る筈もなかろう。

だから向井に対して、お前が仕掛けた罠だと思ったんだ。

正直、次の日、お前をクビにする事だって考えていた。

しかし、次の日もお前は、働いている間、冷静に仕事をしておった。

普通の奴なら、あれだけの事を起こして普通に仕事はできん。

それが出来る奴は、まず何もしていなかったか、本物の悪人だけだろう。

ワシが知る亮は、まず悪人ではないと思っておる。

だからワシはお前を信じる事にした。

だが、あれだけ嫌な目に遭わしてしまった向井には申し訳なくてな。

あいつも、あれ以来、行方をくらましてしまった。

会社の方に連絡すると、退職届けを出して、今月末には仕事を辞めるらしい。

既に会社に顔を出してもおらんそうだ。

あいつの人生を・・・、ワシが無茶苦茶にしてしまった。

ワシが出来る向井への侘びは、不祥事が起きた、この店を閉める事だ。

その話を聞かされ、亮は天井に顔を向けた。

「本気で店を閉める気ですか?」

「お前には申し訳ないが、これぐらいしかワシは向井に詫びる方法を知らん」

(全く情けない話だ。 あの程度の事で責任負った言い方するなんて・・・)

今の亮は店の事など、どうでも良かったのかもしれない。

霧子の気持ちを自分の方に向けるので頭が一杯だった。

「じゃあ、マスター、俺はいつまで働かせて貰えるのですか?」

「来月末、この店を閉めるつもりだ。

亮の働き先は、以前、この店で見習いをしていた奴に頼もうと考えている」

さすがの亮も店を閉める話は少し辛かった。

(参ったな、いきなり失業か・・・。 今更、新しい場所で働く気にもなれないしな・・・)

「亮、すまん・・・」

マスターは亮の方を向き頭を下げた。

しかし、その話を利用して、更に霧子の気持ちを自分の方に向ける方法を考えついた。

『どうせなら、この話を使って、今度の木曜日に目的を達成しよう』

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