朝から大きな粒の雨が、休む間もなく振っている。
夕方になっても雨が収まらない為、今日は店に来る客を寄せ付けない。
マスターと亮の2人は開店してから客が来るのを立って待っていた。
既に時刻は8時を超えようとしている。
普段なら、この時点で少なくても3人ぐらいは客が入っていが、
この雨の影響で今日は1人も客が来ない。
「今日の雨は酷いな。 1人も客が来ないぞ・・・、これはうちも潰れるぞ~」
と冗談混じりでマスターが険しい顔をした。
「傘を持っていたとしても、この雨では意味がないでしょ。
こんな日は誰も好んで地上を歩きません。 今日は地下道を通りますよ」
そう言いながら亮は苦笑した。
「じゃあ、今日は思い切って店を閉めるか!」マスターは苦笑いする。
「マスター、今日は帰ってもいいですよ」
お互い客の入ってくる店の扉に視線を向けるが、一向に客が入ってくる様子がないと思うと疲れる。
客の来る様子がない日に、2人で店に居ても仕方ないと思ったマスターは、
「お前は、働き者だな~・・・」と亮に言いながらベストを脱ぎ始めた。
そんなマスターの様子も気にせず、「少しでも、マスターの仕事を取り上げないと、
自分の店を持つ事なんて出来ませんからね」と強気な表情をした亮が言う。
「じゃあ、怠け者のワシは帰らせて貰うとして、12時に客が居ないなら、今日は閉店にしてくれ」
「分かりました」
外の雨の振る勢いは衰える事がなく、徐々に風が強くなり、雨の音が轟音と変わりつつある。
マスターが家に帰ってから1時間後、亮は霧子の携帯に電話をした。
「今日は、この雨で客の出入りもありません。
こんな日は売り上げに繋がらないので、好きなお酒でも造らせてもらいますよ」
店に客が訪れる事もないのであれば、亮は霧子の為にお酒を造ろうと考えた。
電話で話している間、亮は上機嫌で笑顔が耐えない。
その会話の最中、『カラン!』と鈴の音が鳴り店の扉が開いた。
突然の客の訪問に、「ごめんなさい、今、お客さんが来ましたので、
また後で電話させて貰います」と急いで霧子に言った。
電話を切ると亮は慌てて客の方を向き、いつもの対応をとる。
「いらっしゃいませ」
そこには雨で濡れた向井の姿があった。
「向井さん・・・」
普段明るい性格の向井が今日は暗い。
その様子に亮は、内心驚いている。
「亮ちゃん、マスターは?」と険しい表情で亮に尋ねた。
「今日はお客さんの入りが少ないので、自宅に帰りました」
「亮ちゃん、悪いけど、マスターに連絡が取れるかな?」
「連絡は取れると思いますが、突然、どうしたのですか?」
「ごめん、込み入った話で、今、説明している暇はないんだ」
向井の突然の訪問に亮は凄く気になる。
「分かりました、すぐに連絡を取ってみます」
店の電話からマスターの携帯に連絡を入れるが、移動中なのか携帯の電源が入っていない。
「駄目ですね、今、電波の入らない場所に居るみたいですよ」
「じゃあ、悪いけど、ここでマスターを待たせて貰えるかな?」
「何かお造りしましょうか?」亮は乾いたグラスを持ち出して言った。
「今は要らない。 ここで待たせて貰うよ」
向井の顔には焦りの表情がある。
亮も向井に何があったのか気にはなるが、それをここで話す程、向井と亮は親しい間柄でもない。
それから10分置きに亮はマスターの携帯に電話をした。
30分程経つと向井は冷静な気持ちを取り戻したのか、突然、口を開いた。
「せっかくマスターが居ない日だったのに、突然、店に来てごめんな」
「うちの大事な常連さんなのに何を気遣っているのですか? それより何かあったのですか?」
「実は来月の中旬に彼女にプロポーズをするつもりだったんだ」
「そうだったのですか!」亮はわざと大袈裟に驚く振りをした。
「それが、最近、彼女に連絡が取れなくなったんだよ・・・」
向井が目を閉じて言った。
向井の様子に合わせて、亮も真剣な表情に変わり「何か揉められたのですか?」と聞いた。
「いや・・・、大きな揉め事は何もないんだよ、ただ携帯に連絡が繋がらなくて・・・」
そう言って向井はカウンターに肘を付いて、下に俯き後頭部の髪の毛を両手で掴んだ。
その手には力が入り、今にも後頭部の毛が抜けそうだ。
少し間を置いて亮が口を開いた。
「向井さん、少しの間、留守番をお願いしていいですか?」
亮の言葉に向井は顔を上げて軽く頷いた。
亮は裏口に置いてある自分の鞄から携帯を取り出し、傘を持って裏口から外へ出て行った。
やがて表の扉が開き、雨が地面に強く叩きつけられる音と共に、亮が店の中に戻ってきた。
亮が向井の様子を見ると、まだ向井は下に俯きながら静かに座っている。
亮は扉の内側に掛かっている札を静かに反対に向けた。
店の外から見ると札は『CLOSED』と書いてあった。
(とりあえず、これで客は入ってくる事はないだろう)
店が閉まった事に気付かず、向井は顔を上げて亮の方を振り向いた。
「おかえり、客は来なかったよ」と言った。
「まあ、こんな酷い雨です。お客さんも地下街の店に行くでしょうね」
亮は苦笑しながら店の奥に入る。
「亮ちゃん、暇だったら、俺と一緒に飲んでくれないか?」
「いいですよ。 何を飲まれますか?」
「じゃあマティーニを・・・」
(向井さんがマティーニとは珍しいな、これは本当に2人の関係が危ういかもしれないな)
「分かりました。 すぐに用意します。」
亮は裏口の傍に置いてある予備の冷凍庫に近付いた。
そして冷凍庫の蓋を開けて、大き目の氷を何個か取り出した。
それを調理台の上に置き、向井の様子を見た。
向井は亮の様子も気にせず下に俯いている。
(よし、見られていない)
そう思った亮はポケットの中から薬を3錠取り出して、薬を氷と同じ場所に置いた。
亮は急いでアイスピックで氷と薬を砕き始めた。
『ゴッ! ゴッ! ゴッ! ゴッ!』
氷の下に置かれてある薬は粉上に変わり、それを手で氷と一緒にかき集めた。
残った氷は流しに手で落とし、粉状の薬は氷と一緒にシェイカーの中に入れた。
その様子に向井は一切気付いていない。
いつものようにシェイカーを上手く振ったつもりだが、亮は少しだけ焦っていた。
普段ならリズム良く振るシェイカーも、上手く振れず何度も手が止まった。
グラスにお酒を注ぐと僅かに沈殿する薬の粉が見えた。
(この程度なら大丈夫か?)
亮の中で不安が募る。
亮はお酒を向井に手渡し、向井の様子を見ていた。
向井は薬が入っている事を気付かずマティーニを飲み始めた。
辛い事情を抱えて酒を飲む向井は、目を瞑ったままマティーニを一気に飲み干す。
向井は亮にグラスを差し出し、亮にお替りを所望した。
次々とグラスを空けて、お酒を飲み続ける向井が静かに眠りに落ちた。
その様子を亮は確認して、眠る向井の傍に静かに近付く。
そして向井の鞄をゆっくりと持ち、そのまま店の奥に戻って行った。
向井の鞄を開けると、まず手帳が見えた。
その手帳を取り出して開くと、マスターの知人の店の名前が書かれてある。
その欄を見ると、マスター以下、向井と仲の良い常連客の名が連ねられていた。
その日の亮の予定は、1人で店を任される日。
(この日に霧子にプロポーズする気だったのか・・・)
亮はマスターの動きを見てから、自分の行動を決めようと思っていた。
しかし、向井が行動に移る以上、亮も先に手を打つ必要が迫られた。
(仕方ない、何があるのか分からないけど、多分、俺には都合の悪い日に思える。
それなら先に手を打つか)
亮は手帳を閉じて向井の鞄の中に手帳を戻した。
そして傍に置いてあった自分の携帯を取り、知人に電話を掛け始めた。
「俺だ。 亮だ。 悪いけど、お前の店の女の子を1人手配してくれないか?」
相手が話す間、亮は落ち着かず携帯を持つ手を何度も変える。
「上手くやってくれたら礼は弾む!」
その後、亮は相手の話を聞いて電話を切った。
『これで後に戻る事は出来んぞ。 生涯に1度だけ俺にもチャンスをくれ』
2008年4月25日金曜日
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