2008年4月5日土曜日

第5話:相応しい

前回、店に向井さんが居る事を霧子に伝えたのは俺だった。

店の常連である向井さんに嫉妬している訳でもない。

ただ霧子の気持ちに少し同情した筈だった。

以前、俺が霧子の手帳にメモを挟んでから、1度だけ霧子に連絡を貰っている。

「もし彼が店に来る事があれば、私に一言教えて貰えますか?」

その連絡は、俺が霧子をタクシー迄送った次の日だ。


6畳の部屋に14インチの液晶テレビ、小さなテーブル、シングルベッドが置いてあった。

そのシングルベッドに仕事から帰った亮が寝ている。

時刻は昼過ぎ、ピリリリリッ! ピリリリリッ! と甲高い音で亮の携帯が鳴りだした。

亮は横になったまま枕元に置いてある携帯を取り、「はい・・・、香川ですが・・・」と不機嫌そうな声で返事した。

電話の向こうから、「香川、今日は休みか?」と男性の声が聞こえた。

早川 登、24歳。

亮が大阪に出た来た時、初めて働いた居酒屋のアルバイトで親しくなった友人。

まだ亮は眠い上に仕事で疲れている。

「あぁ、でも今日は勘弁してくれるか?」

亮は休みの日は出来るだけ睡眠を取っておきたいのが本音だ。

「違う違う、遊びに行く話じゃないよ。 お前、車欲しいって言ってただろう」

車と聞いた瞬間、亮の目が完全に開いた。

「あー! それで幾らで譲って貰えるんだよ?」突然大きな声を発した。

「お前の望み通り色は赤やけど、年式は9年、古いけど充分走れそうだ。それで10万」

亮は眠気が飛んで、慌ててベッドからフローリングの床に降りた。

「本当か! それは恩に着る。すぐにお金は渡すから、相手に車の方は用意するように伝えてくれ!」

携帯電話を切った後、お金を用意する為、亮は銀行に行く準備をした。


狭い洗面所で顔を洗っている最中、再び携帯の着信音が聞こえた。

慌ててタオルを取り洗面所から出て、携帯電話の置いたテーブルに近付いた。

携帯のサブディスプレイには、『奥田』と表示されていた。

(向井さんの彼女?)

「はい、香川です」

「奥田です。先日は彼が店に来ている所を教えて頂き、ありがとうございます」

「昨日の件ですか。 特に対した事はしていませんよ。 それよりお2人が仲良くして頂いた方が私も嬉しいです」

「香川さんから、彼が店に来ている事を教えて頂けなければ、いつ彼と会えるか分からなかったのです」

「昨日は、あの後、向井さんとは仲良く過ごされましたか?」

「いえ・・・、あの人が大阪に戻る事を黙っていましたから、それで、すぐ仲良くってのは・・・」霧子の言葉が詰る。

「それはそうですね・・・」

「また、彼が店に来たら教えて頂けますか?」

「ええ、もちろんいいですよ。 但し、密告したのが私とは絶対に言わないでくださいね」亮は優しく霧子に言った。

その話に霧子は少し元気がでて声に明るさが戻った。

「はい!」

「黙って頂けたら、いつでも私がスパイさせて頂きます」と亮は言った。

「すいません、これからもお願いします!」

(彼氏の為に一生懸命な美人とは、あのふざけた向井さんには考えられないな)

亮は、そう思いながら別れの挨拶を交わして電話を切った。


亮は出かける準備が出来ると、自転車に乗り駅前の銀行に行った。

銀行のATMで順番待ちしていると、ポケットの中の携帯が鳴り出した。

携帯をポケットから取り出してサブディスプレイを見ると”憐”と表示されていた。

亮は携帯電話を耳元に持って行った。

「レンか! 何か用か?」と亮は声を荒げる。

「今日って休みなんやろ? 会わんのか?」

電話の向こうから不機嫌な女性の声が聞こえる。

佐山 憐、21歳、1年半前から亮と付き合っている彼女だ。

「アホか! 俺は今から車を貰いに行くんだよ!」

亮の周りでATMを待っている人達は、亮の話し方に少し引いている。

「えっ! ほんまか! 車が手に入るんか!!」

電話の向こう佐山は、亮が車を手に入れる事を聞いて喜んでいた。


時間後、亮は10万円で売って貰った赤のMR-2を運転している。

隣に座る佐山は、初めて乗る彼氏の車の中で音楽に合わせて大騒ぎしている。

その様子が半時間続くと亮も我慢できずに、「おい、いい加減静かにしろ! お前の声で音楽も聞こえないだろう!」と怒鳴った。

「ええやん~♪、誰に迷惑が掛かる訳でもないし~♪」

憐は音楽の歌詞を替え歌で言い返した。

「好きにしろ!」

車を運転する最中、亮の頭の中で霧子の姿が浮かんだ。

(頭の悪い女は本当に困るぜ・・・)

亮は隣のシートに座る佐山の姿を見て、自分の彼女に幻滅していた。

脱いだブーツは助手席の足音に無造作に脱がれ、裸足になった足で音楽に乗ってフロントガラスを蹴る事もあった。

その上、何か起きては、意味なく大きな声で「キャーッ!」と騒ぐ。

(この数年、働き出してから色んな人を見たが、バーで働き出してからは周りでこんな下品な女も居ない)

そう思うと亮は、別の考えが頭に浮かんだ。

ハンドルを左に切り、車を道路の脇に停めようとした。

「どうしたの?」と憐が亮に尋ねた。

亮は前を向いたまま「降りろ」と言った。

「えっ! 何? どうかした?」突然の事で佐山は戸惑っている。

「もう、お前は要らないんだよ! 俺の周りに不要な奴なんだよ!」亮は怒鳴った。

「何やねん! それは!!」

佐山も負けていない。

亮に怒鳴り返した。

亮は横に座る佐山の方をゆっくり向き、右手で憐の前髪を鷲掴みにして睨んだ。

「お前は、その辺のホストクラブにでも通え」と脅し口調で憐に言った。

亮の様子に憐も冷静になり、ブーツを履いて車から降りた。

憐が車から降りた後も、亮は憐を睨み続けている。

亮は助手席のドアを運転席から体を寄せて閉めて、その場を去った。

それを見届けた憐は途方に暮れそうになったが、即座に携帯を取り出して連絡し始めた。

憐を置いて数分後、亮の頭には色々な考えが浮かび始めている。

『人間にはランクがある。 今の俺に憐は相応しくない。 俺には俺で相応しい女性が居る筈だ!』

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